はじめに
動画での説明
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記事の位置づけ
今回学ぶ「パターン・ランゲージ」は主に「創造美学」に分類される。
第一回の記事は3つのパートから構成されている。
※今回は3つのパートの概要、及び「アレグザンダーにおけるパターン・ランゲージ」の説明を行う。
前回の記事の振り返り
POINT
パターン・ランゲージ(英:Pattern Language):ある分野で繰り返し役立つ知恵やコツを他者と共有するために用いる言語体系のこと。建築家のクリストファー・アレグザンダーの考案した概念。
POINTパターン(英:pattern):繰り返し現れる要素同士の関係のこと。※『パターン・ランゲージ』では「原型」と翻訳されている。
なぜランゲージなのかというと、人びとが用いるコツ(パターン)を体系的に言語化するからである。パターン・ランゲージという道具を用いて他者と、あるはま物とさえコミュニケーションすることが可能になる。
言語化することでコツを蓄積することができ、未来においても他の他者が使用できるようになる。また、蓄積されたコツを組み合わせて新たなコツを作ったり、体系全体を作り変えることのできる可能性をもっている。
アレグザンダーは「良い建築のパターン」を253パターンの体系として提示した。われわれはこれらのパターンのいくつかの適切な組み合わせによって「良い庭」や「良いリビング」をつくることができるようになる。
アレグザンダーは私たちがつくるパターン、パターンの使用、そして表現される形が良いものかどうかの基準として幾何学的説明や心理学的説明、さらに神秘的な説明を行っている。
| 生き生きとした構造、幾何学的特徴の例 | |
|---|---|
| 【1】 | スケールの段階性 |
| 【2】 | 力強いセンター |
| 【3】 | 境界 |
| 【4】 | 相互反復 |
| 【5】 | 正の空間 |
| 【6】 | 良い形 |
| 【7】 | 局所的シンメトリー |
| 【8】 | 深い相互結合と両義性 |
| 【9】 | 対比 |
| 【10】 | 段階的変容 |
| 【11】 | 荒っぽさ |
| 【12】 | 共鳴 |
| 【13】 | 空 |
| 【14】 | 簡潔さと静謐さ |
| 【15】 | 不可分であること |
今回は、こうしたパターン・ランゲージが我々の日常生活においてどのように役立つか、そして世界の健全性というスケールの大きな問題にどのように寄与しうるのかを考えていきたい。
次回の記事では具体的なパターン・ランゲージの作成方法を扱っていく。
パターン・ランゲージの機能
諸個人の幸福へ向けた問題解決機能
マズローの欲求段階説
人々の行為の目的を「幸せ」だと仮定する。マズローの欲求段階説を参考に図にすると、右のように考えることができる。※下の画像は社会学者のパーソンズの項目で扱ったときのもの
たとえば「会社で業績を上げること」がある個人の幸せに最終的につながるとする。では、業績を上げるためにはどうすればいいか。
人間関係を円滑にするパターン・ランゲージや、特定の技能を習得しやすくするパターン・ランゲージがあれば業績を上げやすくなるかもしれない。業績を上げている人を観察したり、対話を通して聞き出すことによって自分でパターンを考えていくことも可能である。特殊な業種やコンテクストに基づく行為ほど、パターン・ランゲージはまとまって存在しない。既存のものを参考にして自分たちで作り上げていくしかない。
アレグザンダーのパターン・ランゲージでは「パターンの名前」、「問題発見」、「解答」、「コンテクスト」、「他のパターンとの関連性」などが記述のスタイルとして重要になる。
井庭さんの整理でいえば「どのような状況でどのような問題が生じ、それをどう解決すればいいのかという知識」である。
※具体的な作成方法は次の記事(後編)で扱う
常に部分単体ではなく、全体の中で捉えようとする思考のあり方が重要である。
ある部分はある全体のなかだけではなく、他の全体のなかにも重複しうるという「セミラティス構造(二つに分割するときにきっちりと分割せず、重複を許すように分割するときにできる構造)」をアレグザンダーは特に重視している。
・前提の記事
https://souzouhou.com/2023/10/10/souzougaku-2-creativity/
パターン・ランゲージの機能まとめ
今まで学んだパターン・ランゲージの機能を整理すると上のような図になる。
世界観を変革する機能
集団的精神病の世界
アレグザンダーは『パターン・ランゲージ』で、「良い建物」を作るコツを言語化し、体系立てて提示した。
では、なぜ「良い建物」をつくるべきなのだろうか。もしコツを建築家や住民が正しく理解し、一緒に美しい建物を作ったとしてそれが一体何だというのか。ケーキにより良いデコレーションがあったからといって、それがなんだというのか。
レバーが好きか嫌いかといったような単に「趣味的なもの」、「主観的なもの」、「道楽」であり、美しい建物があってもなくても本質的にはどちらでもいいのか。
駅に設置されたオブジェが美しいからといって、我々の生活はどう変わるのか。それは戦争や仕事、恋愛などよりもお金や時間、エネルギーのコストを割り当てて優先するべき事項なのか。社会学者のウェブレンの言うところの「誇示型商品(自己の虚栄心を満足させる効用をもった商品)」ではないといえるのか。
アレグザンダーによれば、「醜く不快で見栄えだけの建物ばかりがつくられ、現代の建築家は本当の美をつくることを放棄している」という。建築家だけではなく、施工業者、プランナー、投資家など多くの人たちが「醜い環境」を作ってきた。
しかもこうした醜い環境は地球を搾取するものであり、「集団的精神病」とすらアレグザンダーは表現している。こうした醜い建築は一定の「世界観」に影響を受けている。つまり、不健全な世界観に基づいて不健全な建物がつくられるのは避けがたいことなのである。
・特に参考にしたページ
クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 』,6p
機械論的世界観とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
POINT
世界観:「ものごとに対する私たちの考え方」のこと。特に、アレグザンダーは「秩序に対する考え方」が「ものに対する考え方」を規定すると考えた。
近代から現代において人々の間に浸透してきた世界観として、アレグザンダーは「機械論的世界観」を想定している。
POINT
機械論的世界観:一般に、自然現象や社会現象を機械のように理解し理性的かつ論理的な法則に基づいて説明しようとする哲学的立場や方法論のこと。近代以降に主に生じていったとされる。
機械論的世界観は極端な場合、あらゆるものは原子から構成されているのだから、その法則さえ客観的に把握できればあらゆるものが予測可能であるという考えにつながる(いわゆるラプラスの悪魔)。
気象、気候、農業、動物の生命、社会、経済、生態学、医療、政治、行政そして家庭生活までもそうした考えの延長で考えられていくという。
たとえば「じゃがいもを効率的に量産する科学的方法」と同じように、「子供を合理的に、効率的に育てる科学的な方法」が考えられていく。ゆりかごから墓場まで、徹底的にそうした考え方に基づいて社会化されていく。
われわれはほんとうの意味で「自分で何かを考える」ことができているのだろうか。われわれはほんとうに心からあるものを選んでいるのだろうか。このように考えると、哲学者のフーコーがいうような「自発的に従わせる権力性」という視点が見えてくる。
神や呪術、幽霊など説明がつかないもの、原子の積み重ねとして説明できないようなものは軽視される。鬼火など、今はまだ解明されていないだけで、いずれは「燐化水素の燃焼による現象」といったように合理的に説明できると信じられている。
神の存在は「集団による妄想」、「超越的存在を仮定することで人々を安心させる機能がある」といったように説明されるかもしれない。
たとえば哲学者のカルナップは検証ができない分野を「非科学的」として学問から除外した。ポパーは反証ができない分野を除外した。
「それってあなたの主観ですよね」というようなケースは合理的・客観的に説明・検証できないので思考の対象から除外されていくのである。
「事実」の問題ではなく「価値」の問題として学問の世界・公の世界では軽視される。趣味の領域や信仰の領域として公の領域からは退けられていき、討議されることも少ない。
理論の真偽は観察の結果によって変わりうるため、科学は固定的な一対一の事実、いわゆる「真理」を捉えることは難しいと考えるクワインのような立場もある(クワインは真偽ではなく有用性によって理論を捉えようとしている)。
機械論的世界観において、「何が美しいものか、何が道徳的によいものか」について科学が伝えてくれるものはすくない。
科学が伝えるのは「自然はこうなっている」という事実ベースの情報だからである。経済にとって科学の情報は「有益である(利益を出す)」から価値があるのだろう。環境に配慮することも、それが企業のイメージの上昇につながり、利益につながる限りにおいて価値を持つことになる。
・特に参考にしたページ
クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 』,7-8p
多元論的価値観はいいことなのか
科学からすれば、芸術や道徳は「価値ベース」だということになる。政治では「みんな違ってみんないい」という多元論的価値観に基づいて、「他者の価値観の尊重」が叫ばれている。
しかしその価値観に客観的な指標が欠けているため、「異なった相容れない複数の視点が、調和がとれずにいい加減に妥協された状態」だけが残されたという。たとえば道徳的価値は民主主義的に多数決をとればいいということになる。芸術における価値は「私的な領域」に押し込められる。
アレグザンダーが提示する「自己を映す鏡」や「15の幾何学的特徴」によって「生命」、「調和」、「全体性」といった価値の指標が客観的に示せたとする。
たとえば「ある範囲に配置された場合、他に配置する場合よりもより調和的である」とか、「この配置の方が他の場合より部屋の『全体性』をより良く保つことができる」とか、「あるドアのほうがより部屋に『生命』を生み出す」、「ペールイエローのドアの方がダークグレイより『生命』がある」と判断できるようになるのである。ある理論よりもこの理論のほうが「全体性」を感じるといった判断も可能になるのだろう。
・特に参考にしたページ
『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 』,21p
グレゴリー・ベイトソンの「全体論的世界観」
デカルト的世界観とベイトソン的世界観の対比
| デカルト的世界観 | ベイトソン的世界観 | |
|---|---|---|
| リスト1 | 事実と価値は無関係。 | 事実と価値は不可分。 |
| リスト2 | 自然は外側から知られ、諸現象はそのコンテクストから取り出され、抽象化されて吟味される(実験)。 | 自然はわれわれとの関係のなかで明らかにされ、諸現象はコンテクストのなかでのみ知ることができる(参加する者による観察)。 |
| リスト3 | 自然を意識的・経験的に支配することが目標。 | 無意識の精神が根源にある。叡智、美、優雅を目標とする。 |
| リスト4 | 抽象的・数学的な記述。数量化できることのみが現実。 | 抽象と具体とが混合した記述。量よりも質が第一。 |
| リスト5 | 精神は身体から、主体は客体から分離している。 | 精神/身体、主体/客体はいずれも同じひとつのプロセスのふたつの側面。 |
| リスト6 | 直線的時間、無限の進歩。原理的には現実を完璧に知り尽くすことができる。 | 循環的(システムのなかの特定の変数のみを極大化することはできない)。原理的に現実の一部分しか知ることができない。 |
| リスト7 | 「AかBか」の理論。情感は生理現象に伴って二次的に生じる現象である。 | 「AもBも」の理論(弁証法的)。情感は精緻な演算規則を持つ。 |
こうした世界観の変革の試みは人類学者のグレゴリー・ベイトソンの「精神の生態学」という体系で捉え直すことによってより言語化され、共有可能になるのではないかと考える。右の表が世界観の比較の例である(モリス・バーマンの整理を参考にしている)。
人類学者のグレゴリー・ベイトソンがいう「全体論的世界観」はアレグザンダーからすればより「生命」がある世界観だといえる。
ベイトソンにとって「全体論的世界観」とは、単に美しいだけではなく「健全で謙虚な世界観」である。
| 原子論 | 全体論 | |
|---|---|---|
| リスト1 | 物体と運動のみが現実。 | プロセス、形、関係がまずはじめにある。 |
| リスト2 | 全体は部分の集合以上のものではない。 | 全体は部分にはない特性を持つ。 |
| リスト3 | 生物体は原理的には非有機体に還元可能。自然は究極的には死んでいる。 | 生物体、もしくは<精神>は、構成要素に還元できない。自然は生きている。 |
さらにベイトソンは「原子論」と「全体論」にわけて物事の考え方を説明している。
要素と要素がなんらかの形で相互作用している場合、そこには「精神(部分にはない特性)」が存在するという。
- われわれと環境とを対立させて捉える思考
- れわれと他の人間を対立させて捉える思考
- 個人が(あるいは個々の企業や国家が)重要であるとする心
- 環境を一方的(uniteral)に制御することが可能であり、またそれを目指すべきだとする思い
- われわれは限りなき”フロンティア”を進んでいるという楽天主義
- 経済がすべてを決定するという”常識”
- テクノロジーが解決してくれるという無責任性
ベイトソンは特に産業革命期に有害な形をとって現れた「不遜な認識枠組み(姿勢、世界観)」のリストを挙げている。
こうした不健全な世界観に基づいて、「醜い建物、芸術、行為、表現」が規定されていく。マックス・ウェーバーが「鉄の檻(硬い殻)」と表現したように、容易には変えがたく、宿命的に我々の世界観となって浸透していくような事態である。
たとえば核兵器はよくないと思ったとしても保持する必要があるとみなされる。価値が低い商品を、価値があるように見せかけて売ることが会社の維持につながるなら、そうせざるをえなくなる。良さや健全さにかまっていられる余裕がない世界である。国民が攻め込まれたり飢えたりする危険があるなかで自然破壊をするなといえるか。
人との違いが見えなければ芸術が売れないとすれば「自分が良いと思うもの」ではなく、「売れるもの」、「世間で受け入れやすいもの」、「個性的なもの」が市場に向けて造られていく。
愛する家族のため、国民のためという名目でそれらが積極的に維持されていく。より大きな、長期的な視点で不利益だとしても、自分の人生、自分たちの人生のスパンで見た場合は利益だと思うならそうせざるをえないのである。自分が生きていない遠い未来のために、現在の自分や愛する人たちを犠牲にすることは難しい。囚人のジレンマのような事態である。
ベイトソンからすれば「不健全な世界観」は単なる趣味の問題ではなく、世界の存続の危機と関わる切実な問題なのである。
・特に参考にしたページ
モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ』,274p
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』,652p
価値の問題を客観的に議論できる道
アレグザンダーは「価値の問題」をより客観的に議論できるような基準を提供しようとした。このように価値を事実とつなげ、理論を整えることで「不健全な世界観」に歯止めをかける効果を期待することができるのだろうか。
「たしかにそうすべきです、しかしそれは難しいです」という神学者のルターの声が聞こえてきそうな気がする。哲学者や社会学者は「こうすべきだ」という理想はかかげている。しかしその実現方法となると精彩を欠いているようにみえる。世界はあまりにも複雑で、ある学習パターンが過剰に浸透し、かつその学習パターンに沿うように周りが塗り固められてしまっている。それらを動かすテコのようなものはあるのか。「対話」や「法」、「信仰」で戦争は止められない。
アレグザンダーの神秘的な説明や解釈に幅がある心理学的説明、道徳的な説得力で人々は動くだろうか。
「ほら、見ればわかるでしょう、つくればわかるでしょう、使えばわかるでしょう、この質が、この調和が、この生命が。」と彼ならいうかもしれない。「この踊りが言葉で言えたら踊る意味がない」とイザドラ・ダンカンという舞踊家が言っていた。
「言葉(ランゲージ)で言えなきゃ、(健全なパターンは)広がらないんだ。広がるべき切実な問題なんだ」とアレグザンダーは言うだろう。しかし、言葉や形で示せたとしても、どうやってその妥当性を人びとに説得し、広げることが可能なのか。実行へ移行させる経路をどのように設置することができるのか。
どんなに個人的で機械論的な動機だったとしても、パターン・ランゲージを一度使ってもらうようにすればいいのではないだろうか。他者を操作するため、利益を単純に増やすため、効率を上げるためでもなんでもいい。動機はなんであれ一度知ってしまえば精神のパターン全体に影響を及ぼすからである。
一度パターン・ランゲージを使えばその生命性、柔軟性、健全性に、暖かい光に触れることができるのではないだろうか。そのような意識を生じさせうる適切なパターン・ランゲージはどのようにあるべきなのだろうか。
ベイトソンならもっと理論的、体系的に言語化するかもしれない。たとえば『精神と自然』で行ったように、「科学は何も証明しない」、「地図は土地そのものではなく、ものの名前は名づけられたものではない」、「客観的経験は存在しない」、「イメージは無意識に形成される」といった基本的なリストを作っていくのである。いわゆる「精神の生態学」の構築であり、事実と価値を結びつける学問である。
ある意味、これもパターン・ランゲージだといえる。しかもパターン・ランゲージの健全性や生命性を判断するようなメタパターン・ランゲージとなりうるものではないだろうか。
あらゆるパターン・ランゲージは健全な土台を備えている
どんなパターン・ランゲージであれ、「要素ではなく関係が基本である」、「パターンは他のパターンと関わり合う」、「参加・対話が重要」という基礎的な土台がある。
つまり、使いこなせばそうしたものを健全な認識のメガネとして獲得できる余地がある。
「個性を出すためのパターン・ランゲージ」や「相手を騙すパターン・ランゲージ」を作る過程で、強烈な違和感が頭の中に生じてくるかもしれない。
「こんなものに生命感はない」と「修正する機能」もあるかもしれない。聖書で人を物理的に殴ることはできるが、聖書であるがゆえに殴ることをためらわせるようにである。しかし「使わせるまで」にどれだけ説得できるかが重要になる。
どうしてそこにコストを割かなければならないのか、という人には「あなたの問題解決に寄与するから」といえばいい。「他人のために自己を犠牲にせよ」ではなく、「あなたの幸福のために使うことができる」といえばいいのである。
そして使っているうちに無意識に、「こうした使い方はどこか不自然ではないか、不誠実ではないか」と気づいていくのである。ドゥルーズでいえば「不法侵入者(衝撃)」としていつのまにか忍び込み、「ほんとはこうしたほうが美しいのではないか、居心地がいいのではないか」と認識をゆっくりと少しだけでも変化させていくのである。
ベイトソンやアレグザンダーには「調和」、「全体性」、「美」を重視する思考があり、そうした「名付けえぬ質」をなんとか言語化し、体系化しようと試みている共通点がある。
この共通点をパターンとしてまとめ、抽象度を整理し、全体を整序すれば「メタパターン・ランゲージ」が出来上がるのではないか。つまり、他のパターン・ランゲージの美しさを評価できる大きな軸、美を捉えるためのコツとして機能するのではないか。
彼らだけではなく、あらゆる人間がもっている暗黙知をとりだし、メタパターン・ランゲージへと創発させていく方法を考えることには価値があるのではないか。
一見バラバラなパターン同士を架橋するもっとも基礎的なパターンとして機能し、かつ世界観を健全に変えていく機能を期待できないか。
精神の生態学の断片的紹介
今回の動画でベイトソンの精神の生態学の概要を扱うことはできない。アレグザンダーとの関連で重要だと思われるいくつかの断片を引用する。
「関係の両端にくる『もの』(関係項)から考え始める人たちは、葉と名詞とは外見上なんら似たところがないという理由から、文法と植物組織との類比を強引なこじつけとして斥けることだろう。ところが関係を第一に考え、関係項を関係によってのみ規定されるものと捉えるとき、われわれの前には、こんな疑問が立ち現れてくる。」
「――文法と植物構造の間のアナロジーはなにか本質的なものではないだろうか?そのようなアナロジーを扱う学際的な研究はどのようなものだろう?それは一体何を研究するものなのだろう?これほどかけ離れたものをつなぐアナロジーに、なぜわれわれは意味を見いだしたりするのだろう?自分の行っている類比に意味があると考えるとき、それによって主張していることが厳密に何なのかをはっきりさせることが大事である。」
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』,232p
「わたしが申し上げてきたことが、すこしでも当を得たものであるなら、美学の全体を根本から見直していかなくてはなりません。『フィーリング』とは、内なる『ハート』の演算だけでなく、外に伸びる精神の経路での演算ともつながれている。外の世界でクレアトゥーラの働きを認知するとき、我々は『美しさ』『醜さ』に気づくのであります。『川辺に咲いたサクラソウ』が美しいのも、その外観を形成する差異の複合体が、情報を処理していく過程、すなわち思考によってのみ得られることをわれわれが感知するからでしょう。われわれの外にあるわれわれ自身の精神(こころ)の中にもうひとつのちいさな精神(こころ)が見出される、といえるかもしれません。」
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』,615p
「世界が巨視的に見て心的特性を持つからといって、それを構成する最小粒子が精神特性ないしはその可能性を持つということにはならない。この点でわたしは、サミュエル・バトラー、ホワイトヘッド、ティヤール・ド・シャルダンと意見を異にする。わたしの見る心性とは、複雑な関係のみが持つ機能である。」
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』,619p
「われわれが見据えようとしている世界の複雑さは、これ以上だ。そこでは無数の存在が、一本の連鎖ではなく、網の目状に結び合っており、それぞれが今述べたトレーラー間の関係に似た関係でつながっている。しかもこちらでは、それぞれの存在が自前のエネルギー源をもち、そればかりか希望の行き先まで各人各様違っている。」
「こんな世界にあって、制御の問題はもはや科学の手を離れるしかない。むしろそれは芸術の問題にふさわしいという理由ばかりからではない。失敗の結果が『醜さ』であるというところも、芸術に似ている。結論として、ひとつの警告を述べなくてはならない。われわれ社会科学に携わる人間は、これほどまでに理解できていない世界を、制御しようなどという考えを抑え込むのが賢明だろう。理解が届かないという事態に焦って、その不安から制御の衝動をつのらせることがあってはならない。」
「『われわれが生きるこの世界は、一体どんな世界なのか』――この、今日では尊ばれていないけれども、古代から探求者をインスパイアしていた、純粋な知の衝動に導かれていけば、それでいいのではないだろうか。その結果、力を手に入れることができなくても、美を手にすることができるのなら、私としては満足である。」
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』,368p
パターン・ランゲージの特殊性と普遍性、両義性
アレグザンダーはこの「建物のパターン・ランゲージ」の特殊性と普遍性の両方を自覚している。
第一に、パターン・ランゲージは人の数だけ存在するという特殊性である。人間の感じ方は1割は異なりうるのだから、その範囲で異なることがありうる。さらに人間が直面するコンテクストは時代や場所によってより特殊性を帯びてくる。
パターン・ランゲージは「自分の心で育てるもの」であり、「他者の作ったパターン・ランゲージに依存してしまうことは危険である」という。自分の心でテストしてもっといいパターンがあると考えれば置き換えたりする改変が積極的に許容されている。
パターンの組み合わせ方も無数にありうるのであり、この点でも人との違いが出てくる。また、大きな視点で見れば同じだが、違うということがありうる(抽象度が違う。果物を食べる点では同じだが、オレンジとメロンでは違う)。たとえば果物を食べたほうがいいのほうが、オレンジを食べたほうがいいよりも自由度が高い。
第二に、アレグザンダーが作った「建物のパターン・ランゲージ」は「人びとに正気と人間性を取り戻すあらゆるパターン・ランゲージの原型的な核になる」という普遍性である。
パターンの多くは「あまりにも深淵で、ものごとの本質に根ざしているので、現在と同様、500年たっても人間の本性や活動から切り離せない」とすら述べられている。この意味で「メタパターン・ランゲージ」であるといえる。パターン・ランゲージを作りやすくするコツではなく、あるパターン・ランゲージが美しいかどうか、健全かどうかを感じ取るための機能を担っている。
アレグザンダーの「建物のパターン・ランゲージ」の多くが建築的な用語で占められており、メタパターン・ランゲージとしては改善の余地があるといえる(具体性が高すぎる)。
ベイトソンの理論や、アレグザンダーの秩序の理論と接合させてランゲージをつくる試みがあってもいい(これを一生かけて私はつくっていきたい)。
・特に参考にしたページ
クリストファー・アレグザンダー『パターン・ランゲージ』,13p
パターンの生態学の構築へむけて
いままでのパターン・ランゲージの整理を図にすると上のようになる。
POINT
マインドパターン・ランゲージ:パターン・ランゲージの健全性や美性、全体性を評価するための体系的なコツの集まりのこと。
アレグザンダーは「同型性の原理」や「自己を映す鏡テスト」といったパターンを紹介していたが、もっと他に等価のものはないか、より大きなパターン、小さなパターンはないかと模索していく作業である。形だけではなく、道徳や行動などあらゆるものの健全性を評価するランゲージも内包している。※ベイトソンが精神(マインド)を基礎的なパターン(関係)としてして捉えていたことが名前の由来。仮の名前。
POINT
パターンラン・ゲージのパターン・ランゲージ:パターン・ランゲージの作成を支援するようなパターンランゲージのこと。パターン・ランゲージの作成を支援するようなパターンランゲージのこと。
たとえば井庭さんが作成しているパターンマイニング、やパターンライティングというパターンはその例である。
上位という意味でメタパターン・ランゲージだといえる。パターン・ランゲージ自体を評価するという意味で、マインドパターン・ランゲージもメタパターン・ランゲージである。
「マインドパターン・ランゲージ」を追求する学問を「パターンの生態学」と仮に呼ぶことにする。
ベイトソンの「精神の生態学」をどのようにしてアレグザンダーの美学と組み合わせるのかという点が理論的な主題となる。並行して「美しいものや健全なもののパターン」を集積し、これらの理論の構築のリソースとしていきたい。
POINT
プレパターン・ランゲージ:言葉で表現しきれていない、曖昧な性質のメモ段階のコツを単に集積した緩い体系のこと。
パターン・ランゲージに習熟していない人にとって、パターン・ランゲージの形式でリソースを共有することは難しい。また、習熟していたとしても、面倒だったり、言葉にしきれていないために表現することをためらいがちである。そこで、よりゆるいランゲージの準備段階を用意したい。
井庭さんの言葉でいえば「パターン・マイニング」に近いが、「パターンの種」よりも緩い、「パターンの欠片」とでもいうべきものである。何が問題で、何が解決かすらよくわかっていない。しかし「どこか美しい」、あるいは「醜い」というフィーリングを心で感じる段階である。
たとえばモネの絵を見て、「どこか美しい」、「ここにはなにかパターンがある」というメモだけでもいい。こうしたパターンの欠片を共同で、よくお互いを知らない、経験度もわからない他人同士で集められるような試みをしたい。
たとえば上のようなごく簡単なメモでもいい。いい作品の名前やよかった出来事をそのまま記述する。
そうした物や出来事、構造などにたいして「なんとなく良い」、「なんとなく悪い」、「なにかを感じる」のどれかにチェックを入れるだけである。極端な場合、画像や写真とチェックだけでもいい。そうした気軽な出来事を集積するのである。パターンのリソース(柔軟性)として備えていく。
参考文献リスト
今回の主な文献
クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 建築の美学と世界の本質 生命の現象』
クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 建築の美学と世界の本質 生命の現象』
クリストファー・アレグザンダー『パタン・ランゲージ―環境設計の手引』
クリストファー・アレグザンダー『パタン・ランゲージ―環境設計の手引』
坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡:デザイン行為の意味を問う』
坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡:デザイン行為の意味を問う』
スティーブン・グラボー『クリストファ-・アレグザンダ-: 建築の新しいパラダイムを求めて』
スティーブン・グラボー『クリストファ-・アレグザンダ-: 建築の新しいパラダイムを求めて』
井庭崇, 他『パターン・ランゲージ:創造的な未来をつくるための言語 (リアリティ・プラス) 』
井庭崇, 他『パターン・ランゲージ:創造的な未来をつくるための言語 (リアリティ・プラス) 』
井庭崇,他『社会システム理論 (リアリティ・プラス) 』
汎用文献
米盛裕二「アブダクション―仮説と発見の論理」
トーマス・クーン「科学革命の構造」
真木悠介「時間の比較社会学」
モリス・バーマン「デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化」
モリス・バーマン「デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化」
グレゴリー・ベイトソン「精神と自然: 生きた世界の認識論」
グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学へ (上) (岩波文庫 青N604-2)」
グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学へ (上) (岩波文庫 青N604-2)」
マックス・ウェーバー「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」
マックス・ウェーバー「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」
参考論文
・井庭崇「創造的な対話のメディアとしてのパターン・ランゲージ: ラーニング・パターンを事例として」(2014)[URL]
・井庭崇, 古川園智樹「創造社会を支えるメディアとしてのパターン・ランゲージ」(2013)[URL]
・野澤祥子, 井庭崇, 天野美和子, 若林陽子「保育者の実践知を可視化・共有化する方法としての 「パターン・ランゲージ」 の可能性」(2017)[URL]
・井庭崇「認知症とともによりよく生きるためのパターン・ランゲージ 『旅のことば』 の活用事例」(2019)[URL]
・自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン──パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?(ウェブサイト)[URL]













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