【感想】絵の才能とはなにか-狂気と創造について-

才能とはなにか

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才能って何?
え・・生まれつきの能力?
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じゃあ芸術における才能って?
うーん・・・。上手く描けること?
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上手くってだれが判断するの?
・・・
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一般的な才能の定義

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物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。これらが「才能」の辞書的な定義です。「音楽の才能に恵まれる」「才能を伸ばす」「豊かな才能がある」「才能教育」といったように使われます。出典は小学館さんです。

天才と秀才の違い

天才、秀才、英才、偉才云々とややこしいですね。どれも「才能」をもっている人という点では同じです。どれも優れた能力をもっています。

天才は「先天的」な才能を持っている人たちです。つまり生まれつきに才能を持っているというわけです。赤ちゃんの頃からすでに遺伝子になんらかの能力に優れた要素があるということです。

先天的の対義語は「後天的」といいます。生まれてからのちに身にそなわるさまです。

一般的に「天才」と反対の言葉「凡人」です。凡人とは優れた性質や変わった性質を持たない人間のことです。「凡庸(ぼんよう)」という言葉もあるように、凡人と庸人は同じ意味です。あるいは「劣才」ともいいます。

しかし「天才」からみれば「秀才」も「凡人」も対して変わらないかもしれません。「秀才」は一般的に「後天的」なものです。つまり、訓練(努力)による能力の獲得という意味合いが大きいです。英才、秀才、偉才等々も幼い頃から才能に優れている人々に対して使われることがあります。しかし「天才」と比べると能力は低いようです。

天才は、同じ事項をマスターしたときの理解の深さでは、秀才タイプを圧倒的に凌駕する才能を発揮するらしいです。

ギフテッドとサヴァント

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ギフテッドとは、同世代の子供と比較して、並外れた成果を出せる程、突出した知性と精神性を兼ね備えた子供のことである。サバントとは、知能障害などを抱え、社会生活がきわめて困難である一方で、「一つの」分野で特異な能力を発揮する人間を指す。とくに、自閉的サバントは、自閉症ないし発達障害を持つサバントを指す。ギフテッドは、遺伝により生まれ持った特質な資質と環境との相互作用によるものであるが、幼少期から教育熱心な親と特別な教育方法と本人の一生懸命な学習努力で優れた成績を収める秀才とは一線を画するといわれている。ギフテッドは授業中、深さ、意味、速さ、創造性を絶え間なく必要とするため、一般的な授業を退屈に感じている可能性がある。 出典

 

ここでもやはり先天的か後天的かが重要なようです。天才とギフテッドは微妙に定義が違うらしいですが、いずれも秀才とは異なるようです。秀才は「幼少期から教育熱心な親と特別な教育方法と本人の一生懸命な学習努力で優れた成績を収める秀才」とあるように、努力環境によるものが大きいです。

サヴァントは努力せずに並外れた能力を持っていることがあり、明らかに「秀才」とは区別されるようです。

知能の8通りの種類について

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インターパーソナル(対人関係に関するもの)、イントラパーソナル(個人の精神内界に関するもの)、身体-筋肉感覚的、言語的、論理-数学的、音楽的、環境把握、空間-視覚的把握

ここではギフテッドの多重知能を紹介します。ギフテッドが全ての能力に必ずしも優れているわけではなく、特定の能力のみに優れている場合もあるようです。

芸術における狂気とは

天才と狂人は紙一重

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精神状態が普通でなくなった人。また、常人と異なった言動をする人。

 

精神状態が普通ではない人は、一般的に「精神障害者」と呼ばれることがある。つまり病気と社会で見なされる。その善し悪しは置いておいて、事実そうだ。統合失調症のようないわゆる「精神疾患」が見られる人々を狂人と呼ぶことがある。

たとえばゴッホは統合失調症を発症していた。アイザニック・ニュートンやフリードリヒ・ニーチェ等も精神疾患をもっていた。

 

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ドイツの病跡学者のヴィルヘルム・ランゲ=アイヒバウムは天才300人から400人を選び、そのうち一生に一度でも精神病を患った人は12~13%であるという数字を発表した。さらに、その中から「特に有名な」天才中の天才というべき78人を選ぶと、精神病の人は37%、精神病的な人は83%以上に及ぶとした。健康な人は6.5%にすぎなかったらしい。『天才 創造のパトグラフィー』福島章 p.78 講談社現代新書、『天才―創造性の秘密』 (みすずライブラリー) W. ランゲ=アイヒバウム p.117より

「天才と狂人は紙一重」と言われるように、才能と精神疾患は何か関連があるのかもしれませんね。

ハンガリー・センメルベイス大学の精神科医ケリ・サボルチュ氏によれば、「創造性豊かな被験者は精神疾患に関連する遺伝子を保有している(出典)」らしいです。天才が先天的な才能と言われているのは、このような遺伝的なものの可能性があるようです。精神疾患をもっていないと天才ではない、ということではありません。統計的な相関はあるらしいですが、詳しいことはわかっていないようです。

オーストリア・グラーツ大学の神経科学者アンドレアス・フィンク氏らによれば、「重い統合失調症傾向を患っている人と創造性豊かな人の脳内ではともに、思考中であっても、注意と集中にかかわる部位とされる楔前部(けつぜんぶ)が活動を続けていた(出典)」らしいです。つまり、統合失調症の人の脳内と、創造性豊かな人の脳内の働き方が似ていたということです。

一般的に、複雑な課題に取り組むと、楔前部の活動が低下し集中することを助けると考えられているらしいです。ちょっと複雑ですね。楔前部の活動が低下すると集中力が上がるということは、楔前部の活動が活動を続けていると集中力が下がるということですよね。

集中力があるほうが創造性に関連すると思っていましたが、創造性のある脳は集中力が下がるようです。

創造性豊かな脳も統合失調症傾向の脳も、大量の情報を取り込む一方で、雑音となる情報を排除できない。つまり、脳のフィルターが機能していないといえそうだ。

米国の認知学者スコット・バリー・カウフマン氏は一連の研究成果を受けて、「創造的認知への鍵は、情報の水門を開けて、可能な限り多くの情報を取り入れることにありそうだ」と指摘。「大量の情報が入ってきて収拾がつかなくなり、奇抜な関連づけがなされる。すると、時として、創造的なアイデアに結びつくのでは」と分析した。

出典

なるほど、フィルターをかけることが集中力につながるというわけですね。しかしフィルターをかけないことが創造性につながる、ということもあるわけですね。遺伝的な精神疾患は、そうした「フィルターをかけない」ことに力をかしているということですね。フィルターをかけないと精神が錯乱するということもなんとなくわかるような気もします。狂気ですね。

エドヴァルド・ムンクと狂気

『叫び』1893年。油彩、キャンバス、91.0 × 73.5 cm。オスロ国立美術館

ムンクは1908年10月、アルコール依存症を治すためコペンハーゲンのダニエル・ヤーコブソン教授の精神病院に自発的に入院した。ヤーコブソンはアルコール中毒による麻痺性痴呆と診断した(スー・プリドー『ムンク伝』木下哲夫訳、みすず書房、2007年(原著2005年)、287P)

ジャクソン・ポロックと狂気

ジャクソン・ポロック「錬金術」1947

アルコール依存症が始まり、ユング派の医師による精神分析の治療を受けたらしい(出典)。

ミケランジェロ・ブオナローティと狂気

『ダヴィデ像』、1504年 アカデミア美術館

『ダヴィデ像』、1504年
アカデミア美術館

『アダムの創造』(1508年 - 1512年)

『アダムの創造』(1508年 – 1512年)

ミケランジェロは強迫性障害に苦しんでいたそうです(出典)。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホと狂気

『ローヌ川の星月夜(英語版)』1888年9月、アルル。油彩、キャンバス、73 × 92 cm。オルセー美術館[

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良く知られている「天才の奇行」の逸話には、フィンセント・ファン・ゴッホが、自画像を描く際に「自分の耳が邪魔だ」と言って自ら耳を切り落とした、といったものがある。但し、ゴッホはてんかんもしくは統合失調症を発症しており、「天才の奇行」が「天才」故の奇行ではなく、精神病や薬物への逃行など環境からのストレスによって引き起こされるものも多い(もっともゴッホの場合、メニエール病を発症しており激しい耳鳴りのせいで耳を切ったという説もある)出典

そう願うと、心が……なにか縛られて行き場がなくなるような気がする。なぜなら、創造的な人間になるために必要なものがまだ見つかっていないからだ。……そういう人間は、自分がどうするべきかわかっていない場合が多いけれども、本能でなにかを感じとっている。私にだって得意なことがあるはずだし、存在理由があるはずだ!……なにかが私の中に息づいている。それはいったいなんなのだろう!

(ブルースター・ギースリン編『三十八人の天才たち』1952)

その他

トルクァート・タッソ,ヴァージニア・ウルフ, ジョナサン・スウィフト, ジョン・ナッシュ, アーネスト・ヘミングウェイ, クルト・ゲーデル, ゲオルク・カントール,ノーバート・ウィーナー, アイザック・ニュートン, フリードリヒ・ニーチェ, フリードリヒ・ヘルダーリン,ニコラ・テスラ等々、多くの天才と言われる人々が精神障害に苦しんでいたそうだ(出典)。

芸術と写実性と才能と

才能は後天的に獲得できるのか

いわゆる『生まれつきの才能をもった』人とはどういうことでしょう?それは、なんらかの技能に適した脳のモードへの切り替え方を『つかんでいる』人のことだと私は考えています。1979年に刊行した『脳の右側で描け』のなかで、私は自身の経験について次のように書きました。

『たぶん8歳か9歳の幼いころから、私はかなり上手に絵を描くことができました。上手に描けるようになるものの見方にたまたま気づいた、数少ない子供の一人だったのだと思います。いまでもおぼえているのは、なにかを描こうと思ったら、『あれ』をするのよと、幼いながらも自分にいいきかsていたことです。『あれ』がなんなのかはよくわかりませんでしたが、描きたいと思うものをしばらくじっと見つめていると『あれ』が起こることをはわかっていました。その結果、子供にしてはかなりの腕前で描くことができたのです』

「内なる創造性を引き出せ」、ベティ・エドワーズ、河出書房新社 6P

ベティ・エドワーズによれば「生まれつきの才能を持った人」とは「なんらかの技能に適した脳のモードへの切り替え方を『つかんでいる』人」のことらしいです。

「イントラパーソナル(個人の精神内界に関するもの)、身体-筋肉感覚的、言語的、論理-数学的、音楽的、環境把握、空間-視覚的把握」という8種類のギフテッドの知能をさきほど紹介しました。それぞれに脳のモードがあるのかもしれません。そうしたモードへ容易に切り替えられる人々を「天才」というのかもしれません。先程見てきたように、「狂気」がそうしたモードへの接続を助ける場合があるのかもしれません。

絵を描くために才能は必要なのか

私たちはなぜ、絵を描くために稀有で特殊な『芸術的』才能が必要だと思い込んでいるのでしょう?他の能力についてそんな思い込みをしている人はいません。読書能力を例にとってみましょう。かりに、生まれつき読む才能に恵まれた人だけが読み方を身につけられるとしたら、どうなるでしょう?

……『そりゃあ、ビリーは読むのがうまいはずだよ。家族もかなりの読み手だし。遺伝なんだろうね』逆に、それ以外の子どもたちは。『私は読めません。読む才能がないので、読めるようになるはずがないんです』といいながら成長していくのでしょう。

……才能とは、それあどんな形のものであろうと、じつにあやふやな概念です。しかし、『芸術的な才能』は私たちがそれを稀有で特殊なものであるはずだと思っているからこそ、稀有で特殊なもののように見えているにすぎないのかもしれません。芸術の才能は教えられて身につくものではないという考え方がすっかり定着しているために、どう指導すべきかという議論はなされずじまいになっています。

……私たちは、どうすればもっと創造的な人間になれるかをしきりに模索しています。それなのに、神秘的な天賦の才能に恵まれていなければ創造性を発揮できないというのでしょうか?それとも、創造性は教えられて身につくものでしょうか?

「内なる創造性を引き出せ」、ベティ・エドワーズ、河出書房新社 7-9P

こういう問題は才能がなんなのか、創造性がなんなのかという定義が曖昧だと、その議論の結界も曖昧なままになってしまう。

逆説その1:教師たちは、絵の描き方を教えることで子供の『芸術的な創造性』を損なったりじゃましたりするのではないかと案じていますが、『芸術的な才能のある』子供というのはふつう、写実的に描ける子供のことです。

逆説その2:20世紀においてもっとも創造性にあふれる芸術家であったピカソは、古典的な技法をきちんと身につけた結果として、『天使のように描くことができた』といわれています。

「内なる創造性を引き出せ」、ベティ・エドワーズ、河出書房新社 8P

まず、ベティ・エドワーズは一般論として「芸術的な才能のある子ども」を「写実的に描ける子供」だとしています。正直こうした価値判断に首肯することは難しい。たしかに子供の頃に絵が上手い人といえば、アニメのキャラクターを忠実に模写できたり、風景や人物を写実的に写し取れた人だったかもしれない。

そもそも「芸術的な才能」と「創造性」との関連が自分のなかであやふやになっている。一般論として「芸術的な才能のある子供」は「写実的に描ける子供」だとするのはいい。しかし「芸術的な才能」を「写実性」に限定するのはよくない。才能とは写実性以外にも、抽象化、印象化云々を含めた「創造性」が関連していると私は考えるからだ。

おそらくベティ・エドワーズは「先天的な才能」よりも「後天的な才能」を重視している。「先天的な才能」を特殊で稀有な、遺伝的な才能だとしている。そして「後天的な才能」を読書能力に例えて、練習すれば誰にでも身につくような才能としている。そして「創造性も同じように後天的に身につけられるもの」だとしているように見える。

ベティ・エドワーズの「先天的な才能の定義」では「なんらかの技能に適した脳のモードへの切り替え方」だった。そしてベティ・エドワーズは後天的に、すなわちモードの切り替え方を練習することによって能力を獲得できるとしている。いわゆるRモードやLモードもそのひとつだ。「脳の右側で描け」とは、Rモードへ切り替えろということだろう。そしてその切り替え方を先天的に知っているか、後天的に獲得するかの違いだと。

「写実性」に限ってはそうだとおもう。練習すれば、先天的に獲得した人より遅いかもしれないがいずれは身につく。もし「芸術的な才能」が「写実的」に限定されるなら、特殊で稀有な先天的な才能は必ずしも必要ではない。いるのは的確なデッサン等のレッスンかもしれない。たしかにレッスンを受けずに写実的に描くことは多くの人にとっては難しい。自分には”写実的に描ける遺伝的な才能がない”としてあきらめてしまうような人に対して、いや「写実性は後天的に獲得できる才能なんだ」と説得できるかもしれない。

しかし「創造性」はどうだろうか。これは難しい。もしベティ・エドワーズがいうような「創造性のプロセス」がなんらかの方法によって確定できれば、後天的に身につく可能性もある。しかし論理的に理解できないようなプロセスを経ているからこそ天才だという説もまたわかる。さきほどみた「狂気」を論理的に方法論として確立できるのだろうか。そうした飛躍はほんとうに後天的に獲得できるのだろうか。ベティ・エドワーズはいろいろな「創造性のプロセス」を創造的だと言われた人々のプロセスを通して説明しているが、抽象的すぎてよくわからない。「創造性は稀有なものか、それとも万人がもつものなのか」、どっちだろうか。

芸術と創造性について

【感想】創造性とはなにか-「内なる創造性を引き出せ」より-

「創造性」の話は難しい。「創造性」とはなにかがあやふやだからだ。ベティ・エドワーズにとって「創造性」とは「問題解決をうながす力であり、効果的な意思決定を導く力であり、人間の願望や知性のニューフロンティアを切り拓く力」だった。特殊相対性理論を考えたアルベルト・アインシュタインは天才だろう。彼には「創造性」があったといえる。問題提起の力も、問題解決をする力も両方あったのだろう。こうした物理学や数学では、実証可能なので才能が認められやすい。

しかし芸術に置いて「創造性」とはいったいなんだろう。一般論として「写実性」が才能として認められているのはわかる。しかしそれ以外の「創造性の才能」とはいったいなんだろう。

ベティ・エドワーズによれば「デッサンの力」で創造性を生み出すことができるらしい。簡単な実習をこなしていけば、「問題を新しい視点から見ることができる」という。その新しい視点というのがLモードを抑えてRモードで思考するということだ。右脳は言語によらない様式で機能し、視覚的、空間的、知覚的な情報の処理を専門としているらしい。そうした右脳モードを身につけるためには、上下逆さまの絵を模写するといったような実習を重ねる必要があるらしい。ものを見るための5つの基本技能として、エッジの知覚、ネガ・スペースの知覚、相互関係とプロポーションの知覚、光と影の知覚、ゲシュタルトの知覚が挙げられている。こうした知覚を鍛える実習でもあるらしい。

創造性のプロセスが通常の活動でないことは明らかですが、それがどんなもので、どのようにこなされるかについては、長年の考察や研究にもかかわらず、よくわかっていません。しかし、スペリーが脳研究に貢献したことで、創造性に対する考え方はかなり変わってきました。たとえば、創造性のプロセスが段階を追って進行するように見えるのは、それぞれの段階に必要な条件に応じて脳が『ギアチェンジ』する、つまり一方のモードからもう一方のモードへ、そしてその逆へと認識のスイッチを切り替えるためだと考えられています。

……しばしば創造性の一形態と見なされるデッサンには、こうして心のスイッチが切り替えられた形跡がはっきりとあらわれます。たとえ、どちらのモードで描くかによってデッサンが変わることに本人が気づいていなくても、できあがったデッサンを見れば、描いている過程で脳のどちらのモードが『支配的』になっているかを意識できるようになる必要があり、さらに重要なことに、脳のモードを切り替える心のスイッチをコントロールできるようになる必要があると、私は考えています。そして、このような技能は、創造的な思考力を高めるための最も大切な要件であるとも考えています。

「内なる創造性を引き出せ」、ベティ・エドワーズ、河出書房新社 17P

実習内容は本書で詳しく見てもらうとして、重要なのは「創造性の才能」である。実習で身につくのだろうか。写実性の才能は身につくかもしれないが、ほんとうに「新しいものを生み出す」といったような意味での才能が育つのだろうか。

【感想】デッサンとはなにか ややこしい定義の問題

「しばしば創造性の一形態と見なされるデッサン」とあるように、ベティ・エドワーズは「デッサンを創造性の一形態」だとみなしている。これもまた価値判断であり、容易に首肯することはむずかしい。写実的な絵に創造性があるかどうかですら価値判断の領域になってしまう。デッサンという「練習」や「下書き」として強調されがちな項目を「創造的」だと思う人はどれくらいいるだろうか。

デッサンをすることで「創造的な思考力」を高めるとベティ・エドワーズは考えている。たしかに「なにか新しいものを生み出す」と創造を定義したとしても、モードを切り替えるという方法が有用になってくるかもしれない。それはわかる。つまり、デッサンそれ自体が目的ではなく、あくまでも「創造的な思考力を高めるための手段」として、「脳のモードを切り替える方法を知るための手段」として有用だというなら、そうかも知れないと個人的には思う。

もちろんデッサンも作品のひとつでもあり、そこに創造性がないと私が思っているわけではない。ただ、デッサンそれ自体を目的だとする考えが強すぎると、写実的なもの”のみ”に志向してしまうのではないかという恐れがあるだけだ。ベティ・エドワーズが言っていたように、ピカソはデッサンの練習もしたし、その才能があったし、創造的な才能もあった。彼は写実性だけに固執するのではなく、新しいものを生み出すという視点も持っていたということになる。写実性を獲得するようなデッサンはいわゆる創造の前段階であり、脳のモードの切替を用意するための準備運動だったかもしれない(あるいはデッサンをしなくてももともと先天的にあったのかもしれない)。

天才と言われる人の脳の動きを研究した話を前の項目でした。それによれば、「重い統合失調症傾向を患っている人と創造性豊かな人の脳内ではともに、思考中であっても、注意と集中にかかわる部位とされる楔前部(けつぜんぶ)が活動を続けていた(出典)」らしいです。これもある意味では、脳のモードの切替ではないだろうか。普通の人では活動が休止する脳の部位を、意識的に活動させるような方法論があれば、創造的な思考力を高められることになる。創造的な思考力、創造のプロセスが科学的に確立されれば、後天的にそうした才能が獲得できることにもつながるかもしれない。

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ピカソの絵のどこが創造的なのか、教えてもらえますか
えーっと・・その・・なんというか全体的に創造的だよね
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このスレの感想です

https://souzoumatome.com/how-to-draw-face-ch/

今回おすすめする書籍

ベティ・エドワーズ「決定版 脳の右側で描け」


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