創造美学第一回(前編):クリストファー・アレグザンダーのパターン・ランゲージとはなにか

クリストファー・アレグザンダー
  1. はじめに
    1. 動画での説明
    2. 創造技法の位置づけ
    3. 全体の見取り図
    4. 作成した思考道具(テンプレート)
      1. (1) アレグザンダーのパターン・ランゲージのテンプレートイメージ
      2. (2) 井庭崇さんのパターン・ランゲージのイメージ
  2. パターン・ランゲージとは
    1. パターン・ランゲージとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
    2. なぜ「パターン(原型)」というのか
    3. 「形は機能に従う」のか?
    4. 「形はフォースに従う」のか
    5. 「要素」ではなく「関係」を基礎におくとは
    6. なぜ「ランゲージ(言語)」というのか
    7. アレグザンダーのパターン・ランゲージの失敗の原因
    8. 『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー』によるパターン・ランゲージへの修正
    9. アレグザンダーの「自己を映す鏡テスト」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
    10. パターン・ランゲージのその後の歴史
  3. 参考文献リスト
    1. 今回の主な文献
      1. クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 建築の美学と世界の本質 生命の現象』
      2. クリストファー・アレグザンダー『パタン・ランゲージ―環境設計の手引』
      3. 坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡:デザイン行為の意味を問う』
      4. スティーブン・グラボー『クリストファ-・アレグザンダ-: 建築の新しいパラダイムを求めて』
      5. 井庭崇, 他『パターン・ランゲージ:創造的な未来をつくるための言語 (リアリティ・プラス) 』
      6. 井庭崇,他『社会システム理論 (リアリティ・プラス) 』
    2. 汎用文献
      1. 米盛裕二「アブダクション―仮説と発見の論理」
      2. トーマス・クーン「科学革命の構造」
      3. 真木悠介「時間の比較社会学」
      4. モリス・バーマン「デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化」
      5. グレゴリー・ベイトソン「精神と自然: 生きた世界の認識論」
      6. グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学へ (上) (岩波文庫 青N604-2)」
      7. マックス・ウェーバー「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」
    3. 参考論文

はじめに

動画での説明

よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m

創造技法の位置づけ

今回学ぶ「パターン・ランゲージ」は主に「創造美学」に分類される。

第一回の記事は3つのパートから構成されている。

※今回は3つのパートの概要、及び「アレグザンダーにおけるパターン・ランゲージ」の説明を行う。

全体の見取り図

POINTパターン・ランゲージ(英:Pattern Language):ある分野で繰り返し役立つ知恵やコツを他者と共有するために用いる言語体系のこと。

POINTパターン(英:pattern):繰り返し現れる要素同士の関係のこと。※『パターン・ランゲージ』では「原型」と翻訳されている。

たとえばAという要素とBという要素が安定的に結びついていれば、この「AとBの関係」がひとつのパターンとなる。

例:子どもの実際の目線で話したほうが良い関係を築けるという経験を何度もすることで成功するパターンに気づく(良い関係を築くことのできるパターンはBやEへの結びつきのように他にもあり得る)。

デザインの対象 デザインの特徴 ランゲージの使い方
パターン・ランゲージ1.0 物理的対象 デザインの事前と事後が明確 設計者と利用者をつなぐ
パターン・ランゲージ2.0 非物理的対象 デザインが継続的に改良される 設計者同士の熟達差を埋める
パターン・ランゲージ3.0 人間活動 デザインとその実践が密接に関わり合い、解け合っている 多様な立場同士の人間をつなぐ

創造実践学者の井庭崇さんは、パターン・ランゲージの歴史を「3つの波」に喩えて発展過程を表現している(断続的ではなく加算的な発展である)。

パターン・ランゲージの機能を図で示すとこのようになる。

パターン・ランゲージの考案者である建築家のクリストファー・アレグザンダーが特に重視したのは「認識(世界観)の変化」である。近代以降、醜い建物、芸術品が多く造られるようになったのは人々の世界観が機械論的世界観へと変容したからだとアレグザンダーは考えている。

POINT機械論的世界観一般に、自然現象や社会現象を機械のように理解し理性的かつ論理的な法則に基づいて説明しようとする哲学的立場や方法論のこと。

アレグザンダーはパターン・ランゲージを通して「健全な世界観」を目指している。その実践のひとつが「良い建物をつくるためのパターン・ランゲージ」である。

良いもの、美しいもの、健全なものを作ること、感じることで世界観が変わるのである。「言語(ランゲージ)」を通した実践だけではなく、「形」や「理論」によっても示そうとした点が重要である。もちろん「形」だけではなく、「音」や「色」、さらには「道徳」すら視野に入ってくる。それらに共通するパターンが「生き生きとした構造」である。

生き生きとした構造、幾何学的特徴の例
【1】 スケールの段階性
【2】 力強いセンター
【3】 境界
【4】 相互反復
【5】 正の空間
【6】 良い形
【7】 局所的シンメトリー
【8】 深い相互結合と両義性
【9】 対比
【10】 段階的変容
【11】 荒っぽさ
【12】 共鳴
【13】
【14】 簡潔さと静謐さ
【15】 不可分であること

アレグザンダーは「生き生きとしているかどうか」を判定する目に見える形として、「15の幾何学的特徴」を提示した。

理論的な説明としてはたとえば「同型性の原理」が挙げられている。

POINT同型性の原理ゲシュタルト心理学において、心理現象と脳の生理学的構造との間に一対一の対応があるとされる考え方を意味する。

POINT自己を映す鏡テスト自己の真の姿を映すものとしてどちらかを選ぶテストのこと。このテストに基づいて、幾何学的特性のリストが作られている。音や道徳もこのテストによって判定されることになる。

たとえば上の画像の塩入れの瓶とケチャップの瓶のどちらが「普遍的な私」と似ているか、どちらが「生命を感じるか」といったテストである。

同型性の原理以外の説明ではこのような説明も行われている。

デカルト的世界観 ベイトソン的世界観
リスト1 事実と価値は無関係。 事実と価値は不可分。
リスト2 自然は外側から知られ、諸現象はそのコンテクストから取り出され、抽象化されて吟味される(実験)。 自然はわれわれとの関係のなかで明らかにされ、諸現象はコンテクストのなかでのみ知ることができる(参加する者による観察)。
リスト3 自然を意識的・経験的に支配することが目標。 無意識の精神が根源にある。叡智、美、優雅を目標とする。
リスト4 抽象的・数学的な記述。数量化できることのみが現実。 抽象と具体とが混合した記述。量よりも質が第一。
リスト5 精神は身体から、主体は客体から分離している。 精神/身体、主体/客体はいずれも同じひとつのプロセスのふたつの側面。
リスト6 直線的時間、無限の進歩。原理的には現実を完璧に知り尽くすことができる。 循環的(システムのなかの特定の変数のみを極大化することはできない)。原理的に現実の一部分しか知ることができない。
リスト7 「AかBか」の理論。情感は生理現象に伴って二次的に生じる現象である。 「AもBも」の理論(弁証法的)。情感は精緻な演算規則を持つ。

こうした世界観の変革の試みは人類学者のグレゴリー・ベイトソンの「精神の生態学」という体系で捉え直すことによってより言語化され、共有可能になるのではないかと考える。右の表が世界観の比較の例である(モリス・バーマンの整理を参考にしている)。

区分 原子論 全体論
リスト1 物体と運動のみが現実。 プロセス、形、関係がまずはじめにある。
リスト2 全体は部分の集合以上のものではない。 全体は部分にはない特性を持つ。
リスト3 生物体は原理的には非有機体に還元可能。自然は究極的には死んでいる。 生物体、もしくは精神は、構成要素に還元できない。自然は生きている。

ベイトソンにとって「全体論的世界観」は単なる美しい世界観であるだけではなく、「健全な世界観」である。

作成した思考道具(テンプレート)

(1) アレグザンダーのパターン・ランゲージのテンプレートイメージ

アレグザンダーの「良い建物をつくるパターン」は全部で253パターンある。パターンは大まかに上位の町、中位の建物、下位の施工の3つに分類されている。それぞれの分類内では同じくらいの「抽象度」でまとめられている。

上位のパターンのなかに中位のパターンが位置づけられるといったようなパターン同士の関係が重要である。

(2) 井庭崇さんのパターン・ランゲージのイメージ

全体のプロセスのイメージ図はこちら。

・テンプレートのイメージ(1)

※フォースとは「ある問題を生み出している力や要因」のこと。例えば「他者の視線」はフォースになりうる。アクションは解決の具体例であり、「より抽象的な解決方法」とは区別される。

・テンプレートのイメージ(2)

作成の際のコツをいくつか紹介する。

・熟練者などの他者から情報を取得するときは「アンケート」ではなく「対話」が重要である。対話の中で「熟練者も意識していなかったコツ」を言語化させるような対話が特に必要になる。

たとえば「この分野の後輩や新人ができたとしたら、その人たちに伝えたいと思う大切なことは何ですか」などは良い質問だと井庭さんはいう。「どういう状況」なのか、「どうしてそうした解決策をとるのか、しないとどうなるのか」などを掘り下げるような対話が重要である(CPSやフォースを聞き出すように質問する)。

「ルール・オブ・スリー」というコツがある。「少なくとも3つ以上の事例で繰り返し現れるものをパターンとみなす」という考えである。

ある高い抽象度から、低い抽象度に分岐させる場合も3つ以上の事例があるほうがいいということになる。上の図は井庭さんの「コラボレーションパターン」であるが、3つのパターンが基本となっている。

1:3:9の抽象度の高い13パターンから考えてまずはスッキリさせる方法も有効だと考える。必要があればさらに分岐させればいい。

「良い建築のコツ」のようにテーマが大きい場合は、とりあえず3つの抽象度(高・中・低)で全て分類し、その中から必要に応じて組み合わせる方法も有効である。この方法の場合は思いつく限りの数のパターンを列挙し、3つの抽象度に当てはめるだけでいいので整理が楽である。

パターン・ランゲージとは

パターン・ランゲージとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

POINTパターン・ランゲージ(英:Pattern Language):ある分野で繰り返し役立つ知恵やコツを他者と共有するために用いる言語体系のこと。※「パタン・ランゲージ」とも表記される。

建築家のクリストファー・アレグザンダーが良い建物や街を設計することを目的に提案した概念。

なぜ「パターン(原型)」というのか

POINTパターン(英:pattern):繰り返し現れる要素同士の関係のこと。※翻訳では「原型」とも書かれている。

たとえばAという要素とBという要素が安定的に結びついていれば、この「AとBの関係」がひとつのパターンとなる。AはCやD、Eと結びついていた可能性もあるが、繰り返しBと結びついているようなイメージである。

たとえば仕事に集中したい、腰を痛めたくない、自由に移動したいといったコンテクスト(文脈・状況)において、適切な形状が選ばれやすい。座る部分はトゲトゲではなく、平らになりやすい。

保育園において先生は園児と目線を合わせることが繰り返し観察されるが、これもなんらかのパターンであるといえる。ある画家がまっすぐ線を描くために手首ではなく、腕を動かすのもパターンの1つかもしれない。愛犬は「リードを主人がもつと散歩である」というパターンをもしかしたら把握しているかもしれない。

アレグザンダー自身の定義では、パターンとは「『もし、あるフォース(F)が現れる状況(S)が出現したならば、幾何学的関係(R)を実現せよ』というフォースに関するルール」である。

POINTフォース(英:Force,略:F):ある問題を生み出している力や要因のこと。

POINT状況(英:Situation,Context,略:S):フォースが現れている場面、条件、文脈のこと。

POINT幾何学的関係(英:geometric relation,略:R):空間の中に具体的に「形」として実現される関係のこと。

ここでいう「形」とは三角形や円などの幾何学的な形だけではなく、モノの構造や仕組み、その構造が可能にするモノの働きも含まれている。

たとえばスーパー側は「可能な限り多くの商品の前を通ってほしい」というフォース(ニーズ)がある。客側には「目的の商品だけを最短距離で通って買いたい」フォース(ニーズ)がある。

そこで、客の多くが通る生鮮食品の棚の位置をスーパーのできるだけ奥に配置することで衝突が改善されたとする。こうして改善された場合のスーパーの棚の配置関係、構造は「幾何学的関係」だといえる。売り場を多く通った、通らなかったという結果から力の変化を推測することができる。

たとえば砂地に一定の風が吹いているという状況(S)を考えてみる。この状況において、ある見えない「フォース」が働いている。フォースは砂でも風でもなく「関係に帯びる力」なので物のようには見えない。しかし物がどう変化したかによって(磁場の痕跡のように)力を推測することはできる。

したがって、ここでいうフォースは「風そのもの」ではなく、「風が砂粒に及ぼす作用」である。「風と砂粒の間にはどういう力が働いているか」が重要になる。

この状況Sにおいて、砂地の表面はどうやら平らにならず、一定の幾何学的関係が生じている。いわゆる「風紋」と呼ばれる幾何学的形状が表面に現れる。

これを定式に当てはめると、「もし砂地の上に一定の風が吹いている状況が出現したならば、風紋を実現せよ」となる。

砂地に一定の風が吹くと、繰り返し風紋の形が確認されるとする。ここにはなんらかの「ルール(規則)」があり、それに基づいて形が現れる。

このような事態をアレグザンダーは「ルールとしてのパターン」と呼んだ。S(状況)ならばR(幾何学的関係)という、安定したつながりのことである。

一方で、風紋のような形として表れる幾何学的なパターンのことをアレグザンダーは「図像としてのパターン」と表現している。両方とも繰り返し現れるという意味では同じだが、「SならばR」というパターンと、「Rに形として現れているパターン」は区別される。

・特に参考にしたページ

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,16p

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,109-111p

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』118p

「形は機能に従う」のか?

自然法則として、「もし砂地の上に一定の風が吹いている状況が出現したならば、風紋を実現せよ」というパターンがあることは理解できる。

自然科学においては「結果(形)を観察する」作業が基本となる。つまり、「幾何学的関係(結果)」が先に観察され、その機能は後から様々な観点において推測されるのである。

たとえば風紋の形から、「地表がエネルギーを効率的に処理している」という結果(機能)を科学者は観察することができる。鳥の翼の形は安定して飛ぶ機能があり、犬の鳴き声は他の動物を警戒させる機能があると観察することができる。

しかしここで重要なのは、機能は結果であり、目的ではない点である。なぜなら、風も砂も我々人間が創ったものではないからである。たとえば人間の鼻が口の上にある理由は「呼吸をするため」かもしれないし「においを嗅ぐため」かもしれないが、目的(機能)は特定できない。しかし、「呼吸できる」、「嗅ぐことができる」という結果(機能)は観察できる。

たとえば人間の体温が一定になる仕組みや結果がわかったとしても、目的はわからない(「ある個体の生命を維持するため」だと仮定しても、「生命を維持する」のはなんのためか、と無限に目的が積み重なっていってしまう)。

しかし、ある範囲、たとえば特定の人間の観点にとって体温が不安定なのは問題であると考えることはできる。つまり、体温が一定ではないという結果は、なんらかの「コンフリクト(衝突)」が生じていると判断されている。これと同じように、「風が吹いても砂の表面に風紋が生じていない」事態も問題が生じているとみなせる場合がある。

一方で、「人間が創ったもの」は目的がわかるのではないか。芸術においては「形に先立って機能を説明する必要」がある。

つまり、「なんのためにある形を作るのか」という「目的」を前もって決める必要がある。たとえば「飛行機を早く飛ばす」目的が先にあり、「翼を折り曲げた形にしてみた」といえる。もし違う形のほうが早いなら、その形に変更する必要があると考えられる。

建築家のルイス・サリヴァンの「形は機能に従う」というフレーズが広く知られている。無機物であれ生物であれ、そして人間が創ったものでさえ「機能」に従うという意味である。

先程の飛行機の翼の例のように、人間が自分勝手に形を考えてよいものではなく、客観的で科学的な「正解の形」があるという解釈につながりうる考え方である。

こうした考え方は、「今は不完全な形かもしれないが、人間は能力(理性)を発揮して正解の形へ近づくことができる」という考え方につながっていく。そして実際に、多くのデザイナーは当時、そうした指針を採用したという。

たとえば扇風機の形状は「風を送るため」、ぬいぐるみの形状は「人を安心させるため」、スプーンの形状は「よく物をすくうため」といったように機能主義的に説明されたのである。「単なる好みや感性といった価値観によって形が決められるのではない」という考え方である。

デザイン理論家のジャン・ミヒエルは「実際のデザインでは、形が機能から自動的に導かれるわけではない」と批判している。「形は機能に従う」ではなく、「形は目的に従う」あるいは「形は意図に従う」と正確に機能を定義して用いるべきだという。この場合の目的(機能)は客観的な観察ではなく主観的な、任意の決断によって設定されることになる。

デザインにおいて機能(目的)と形は独立しており、機能は形に先立っている。自然界においては形と機能が同時的に存在しているが、この場合の機能は目的ではなく結果(効果)である。

もしそうだとすると、デザイナーは科学者のように客観的に機能と形の関係を位置づけられないことになる。

科学者にとっての「正解」は、観察される通りに形と機能を特定の観点から多様に結びつけることである。たとえば「キリンの首が長いことで、高所の草に口が届く」と特定すればいい。「届いているか、届いていないか」という結果は目に見える。そしてその結果は他者と共有しやすい。ただし、「目的については、わからない」と科学者は答えるほかない。宗教家ならば「神が〇〇のためにお創りになられた」と答えることは可能である。

科学者は自分の「美的思考、好みや趣味」といった主観とは比較的無関係に、客観的に形と機能を関連づけることが可能である(哲学的にこうした態度が正しいかは置いておく)。

一方で、デザイナーは「自分の美的思考、好みや趣味」によって目的を設定し、その目的の範囲で形と関連づけられるかどうかが判断されることになる。たとえば「なぜその窓の形にしたのか」とデザイナーが言われた場合、「その形は私の〇〇という意図によってそうなっているのであり、私が良いと思う形が〇〇だからだ」とこたえることになる。

デザインにおいて、目的を自由に決められる場合もあれば、そうではない場合もある。たとえば飛行機をデザインする場合、速度や安定度が求められる(いわゆるニーズ)。つまり、ユーザーが求めている結果と乖離した目的を設定することはできない。

一方で、絵画をデザインする場合は必ずしもユーザーの求めている結果と合わせる必要がない。心地よさを求めている人、衝撃を求めている人、素朴さを求めている人などさまざまな人がいるからである。

産業品の場合も芸術品の場合も、「装飾」であれば特に目的が結果と乖離しやすい」といえる。つまり、デザイナーがそのような目的を主観的に考えているだけで、実際にどのようにユーザーに対して(客観的に)機能しているかはバラバラになりやすい。

また、その事態に対して問題であると考える人も少ないのではないだろうか。装飾が美しいかどうかは人それぞれであり、画家の狙いとユーザーの感性が乖離していてもしかたがない、というわけである。たとえば「モダニズムの建築や絵画のよさがわからないのは、ユーザーには鑑賞する能力がないからだ」と考える人すらいる。

デカルトの方法論 内容
(1)分析 複雑な問題をより単純な要素に分解する。
(2)枚挙1 問題を十分に明白になるまで分解したか、見落としがないか点検する。
(3)綜合 単純で明白なものとなった問題を解き、それを分析の過程を逆にたどって再構成する。
(4)枚挙2 最初の問題に立ち戻り、再構成されたものが分解したものをすべて含んでいるか、最初に与えられた問題に対応しているかを点検する。

たとえば建築において複雑な問題は「住むとはどういうことか」である。「住む」という概念を「家に入る」、「客をもてなす」、「食事をする」といったより単純な概念に分解していく。

さらに「食事をする」は「調理する」、「食べる」、「くつろぐ」といった概念に分解されていく。

複雑な概念を分解してデザイナーに求められる「目的=ニーズ」をデカルト的アプローチによって明らかにしていく作業をグロピウスは重視する。

単なる恣意的な思いつきではなく、「分解していくとそうなる」という論理的な帰結(演繹プロセス)が重要になる。もしユーザーの求めるニーズを客観的に明らかにできれば、そこから形も客観的に明らかにできることになる。つまり、機能に形を適合させる努力が必要であり、そこではデザイナーの余計な目的や心情は必要ない。

移動する、掃除するといった機能にもっとも適した部屋の形とはどういうものかといったように、機能に形を適合させていく作業が具体的に考えられていく(たとえば部屋は丸ではなく四角になっていく)。

装飾」における明らかに見える機能とはなんだろうか。家に入りやすい、窓から光が入りやすい、調理しやすい、部屋を移動しやすいといった「結果」は目に見えやすい。しかし「美しい」、「心が休まる」といった曖昧で主観的な結果は目に見えにくい。人それぞれであり、客観的には判断しにくいからである。

装飾でしか実現できないような単純で明白なこと、機能とはなにか」と問われていき、そうした「曖昧なもの」が切り捨てられていくのである。お金を稼ぐという明白な結果を残せない会社員がリストラされるようにである。

「合理性・客観性・操作性・経済性・事実」が重視され、「主観性や価値」は曖昧であると軽視されていく。その結果、いわゆる「モダニズム」の建築は醜いものばかりができあがっていったそうだ。あるいはその逆に、自分勝手な主観性や独自性、個性ばかりが重視されて醜くなってしまうこともある。

・特に参考にしたページ

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,36-39p

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,49p

クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 』,23p

「形はフォースに従う」のか

「あるフォースFが現れる状況Sが出現したならば、幾何学的関係Rを実現せよ」というパターンをより一般的な形で言い換えれば、「形はフォースに従う」となる。

「砂の表面の風紋は、砂と風の相互作用における力に従ったからだ」ということになる。

デザイナーは大抵の場合、なんらかのユーザーの「ニーズ」に基づいて何かをデザインすることになる。アレグザンダーはニーズを「人のもつ客観的に検証可能な傾向」と定義している。

つまり、「求めている内心」ではなく、「目に見えてしようとすること」である。たとえば「席から立って楽な姿勢を探そうとしている」ような場合はニーズだと捉えることができる。

POINTニーズ人のもつ客観的に検証可能な傾向のこと。

POINTコンフリクト二つ以上のニーズが衝突している状況。ユーザーが単独では解消できないような状況がポイントである。

たとえば「布張りの椅子」に長時間座るとお尻が痛くなってくるとする。この人は立ち上がれば痛さは軽減できる。しかし、上司が近くにいる場合や作業が集中を要する場合はなかなか立ち上がることができない。「立ち上がりたくないニーズと、立ち上がりたいニーズが衝突している状況」である。適切にデザインされた椅子ではこうしたコンフリクトが生じにくいという。

アレグザンダーはこうしたニーズはフォースの一種であるという。そしてニーズは「コンテクスト」からやってくる。つまり、どのような形が好ましいかは、ニーズ次第である。たとえば家で独りというコンテクストなら、椅子から立ち上がることができるのでコンフリクトは生じにくいが、会社で上司と会話中なら生じやすい。コンテクストと無関係にニーズが存在するのではない。

したがって、デザインとは「コンテクストが要求してくるニーズに形を適合させようとする努力」と定義できる。デザイナーとはそうした努力を欠かさずに、実現させようとする行為者である。

しかし現実の状況やニーズは複雑に絡み合いすぎているため、風紋のように簡単に「形」を見つけることはできない。

たとえば「都市や建物」はランダムな変化によって集積した結果ではなく、法律、人の持つ傾向、暗黙の習慣などのルールによって常にコントロールされてきたという。なぜ鉄筋コンクリートの家が増えたのか。なぜ「怪物のような建物」がつくられるのか。なぜトイレの便器にサインしたものが芸術とみなされるのか。そうした「醜いデザイン」は時代とともに変化する一定のルール(他の小さな力をつき動かす、根底にある大きな力)と関わり合っている。

1964年の『形の合成に関するノート』において、コンフリクトなものを見つけ、分解し、それを解消する形を見つけ出す手法がアレグザンダーによって考案された。適合する条件は多すぎるので、不適合な条件をリストアップする作戦がとられている。これはなかなか面白い。なぜAIの出力する絵はどこか不気味なのか、と不適合な条件を出すと面白いかもしれない。

1965年の『都市はツリーではない』では、ツリー構造に加えてセミラティス構造が、コンフリクトの分析・解消のための図として追加された。

1977年に『パターン・ランゲージ』が出版される。『形の合成に関するノート』や『都市はツリーではない』の問題点の解消が目指され、かつ「ユーザー参加のデザインが不可欠である」という指標が提示された。

いずれもグロピウスのようなデカルト的アプローチ、機能主義的アプローチに基づいており、その発展型である。複雑な問題から分解するプロセスがツリー構造であったりセミラティス構造であったりするわけである(詳細は省く)。

・特に参考にしたページ

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,20p
長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,61p
長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,101p
長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,106p

「要素」ではなく「関係」を基礎におくとは

たとえば「キッチン」という環境を考えてみよう。キッチンを構成する要素とはなにか。

冷蔵庫、ガスコンロ、電子レンジ、調理器具、流し台といったように「モノの名詞」を積み重ねていく考え方が現代では普通である。

西洋言語圏では「モノの名詞が中心」であり、「関係に名前をつけることは少ない」という。

たとえば「怒りっぽい人」といったように名詞で捉えるのであり、「AとBの関係においてAが怒りという性質を帯びやすい」場合の「名前」を我々はよく知らない。Aという人間単独に怒りが(モノのように)備わっているように解釈しがちである。政治の話においても、「国が悪い」、「政治家が悪い」といったように実際は関係の集まりであるのにも関わらず名詞的に語られることが多い。

しかし、実際には「モノよりも関係(パターン)のほうが基本的であり、中心である」とアレグザンダーはいう。この考え方は重要だが、きわめて慣れにくく、わかりにくい。

たとえばキッチンは「電子レンジ、流し台、冷蔵庫、調理器具といった様々な要素の関係」である。電子レンジは「電力、スイッチ、電源、開閉式のドア、回転台といった様々な要素の関係」である。スイッチは「人間の手で回せる部分と電気的接触の関係」である。我々が名詞で表現するもののほとんどは「関係」で表現することが可能である。

キッチンというパターンは、電子レンジなどのパターンからなり、電子レンジはスイッチなどのパターンからなり・・・という作業を続けていくと原子のような「最小構成要素」にたどりつく。

しかしこの最小構成要素すら「確定した位置や運動量を持つ物」ではなく、「確率的な波動関数」として記述する場合がある(量子力学など)。なにが最小構成要素かすらも観察能力の変化によって変わりうる(虫眼鏡から顕微鏡への変化のように)。

つまり、我々が日常的に用いる名詞とは人間の能力の範囲内において理解することのできる「パターンの集合に名付けた簡便なレッテルにすぎない」わけである。

アレグザンダーの『パターン・ランゲージ』では主に町が大きな全体であり、順に建物、施工となっている。例えば施工では椅子をどうするか、小物をどうするかなどのより小さなパターンからなるパターンが語られている。

パターン同士を関連付けて体系を作った物を可視化すると、このようなカスケード状になるという。カスケードとは滝のように階段状に連なっているものを意味する。

たとえば「部屋のパターン」単独で考えることはできず、家のパターンにおいてどのような位置を占めているのかを考える必要がある。また、家のパターンを考える際に、「窓のパターン」も考える必要がある。

もちろん「あらゆるパターン」を考えることはできないので、一定の範囲に留める必要性はある。地球や原子まで日常では考えない。全体の一部の、さらに一部の短い部分を意識で捉えがちである。

哲学的には、あらゆるパターンがより大きなパターンや小さなパターンとつながっており、我々は孤立的な部分ではないという感覚が重要になる。

たとえば醜い建築物は地球全体に比べればほんの小さな下位のパターンにすぎないが、上位のパターンやそれより下位のパターンに波及していけば大きなうねりとなり、世界を覆ってしまう可能性もある。たとえば種を絶滅させるような強力な殺虫剤が地球全体に影響を及ぼさないと言い切れるだろうか。

つまりより大きな全体を視野に入れていなければ、適切な部分のあり方を考えることはできないというわけだ。そのような全体図を示しているのが『パターン・ランゲージ』なのである。

たとえば「窓が全体において適切に収まっている良いパターン」を「生活を見下ろす窓」といったように名前をつけていく。さらに窓が位置づけられる場所には「窓のある場所」と名前がついている。

・特に参考にしたページ

スティーブン・グラボー『クリストファー・アレグザンダー』,69p

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,119p

なぜ「ランゲージ(言語)」というのか

人は何かをデザインするとき、毎回ゼロから考えているわけではない。

たとえば「新しい椅子」をデザインするとき、既存の椅子の形や、その形によってもたらされている機能を我々は観察することができる。先輩が子どもの目線に立って話していたり、上司が敬語で話していることで、そのほうがある目的に対して有効であると我々は気づくことができる。

人間は過去の経験から「こういう状況でこうするとうまくいく」というパターン(経験則)を得ることができます。

たとえば風邪の時はどうしたらいいか、就職の面接の時はどうしたらいいか、バスケットのシュートが決まらない時はどうすればいいか、線をまっすぐ引くにはどうしたらいいかなど、Google検索すれば「言語化されたパターン」もでてくる。会社では「お客様対応のマニュアル」のように、よりシステム化されたものもあるかもしれない。

言語は経験則を共有するための有効な「メディア(道具)」である。しかしどのように、どこまで経験則を言語化できるかとなると不確かになっていく。

伝統的な寿司職人は言語ではなく模倣で技術を伝達するが、最近の専門学校ではより言語的にコツを伝達しているようなケースを考えるとわかりやすい。ただし彼らは言語化しないのではなく、上手く言語化できないだけの可能性もある。あるいは言語化をしたら失ってしまうなにかを想定しているのかもしれない。言語にしてしまったがゆえに重みが無くなり、行為の大事な質が落ちる可能性もありうる(美味しい寿司さえ握れればいいという孤立的発想ではない)。

たとえばある絵師に「なぜ絵が上手く描けるのか」と聞いてそのコツをうまく言語化できるだろうか。なぜ営業で成果を多く出せるのか。なぜ服のセンスがいいのか。

なぜすぐに暗記できるのか。なぜ自転車に乗れるのか。なぜあの選手はシュートがいつも決まるのか。なぜ人の顔を見分けることができるのか。

「努力」や「才能」といった極端な言語化ではなかなか共有できない。「よくわからないけど、できるようになった」では経験則にならない。なんらかの「小さなコツ」の組み合わせで「より大きなコツ」ができ、さらにそれらの組み合わせで「大きなコツ」という全体を構成できる。レゴブロックでいうとブロックがある程度集まり、組み合わせて多様なものをつくれる状態である(ただし単大きくなるといったような集積ではなく、それ以上のものができる)。

もしこのコツ(パターン)に適切な「名前」を付け、一定の秩序(文法)をもとに組み合わせることができたなら、より共有しやすくなる。

パターンが多く、より体系的であればあるほど、経験則の解像度(理解度)はぐっと高まりやすくなる。「こうすればいいのか!」と発見の連鎖が生じやすくなる。

「デッサンをすればいい」ではなく、「デッサンにおいてAパターンとBパターン、Xパターンがあり、それを組み合わせることで練習になりやすい」のほうが解像度が高い。ただしあまりにも細かく、具体的なパターンを作ってしまうと柔軟性が低くなってしまう(本人が考慮する余地が小さくなってしまう)ので、バランスが重要になる。「なぞるだけの正解のパターン」ではなくあくまでも「ガイドライン」であり、状況によって柔軟に変える必要がある。

『パターン・ランゲージ』を翻訳した平田翰那さんによると、言語には2つの機能があるという。

第一に、「人間の過去の体験を蓄積する機能」である。第二に、「蓄積された体験(単語=パターン)をある文法に基づいて組み合わせ、新しい概念(文章)を作り出せる機能」である。

つまり、アレグザンダーにとって「良い環境をつくる知恵を部品として蓄積し、それを組み合わせるための共通言語がパターン・ランゲージである」といえる。

大事なのは単位が「関係(パターン)」であり、その関係に「名前」をつける(ランゲージにする)点である。

関係に名前をつける習慣や、関係同士を秩序立てて組み合わせる習慣があまりないので、今までは「わかるひとにはわかる」といったように共通了解が難しかった。しかし「名前」があることによって共有しやすくなる。

建築家が任意に住民のニーズを想定してつくったものが、実際のニーズに結果として合致するとは限らない。

つまり、デザイナーの機能(目的)とユーザーに対する機能(結果)の不一致が生じうる。それゆえに一致させる努力が必要であり、そのためのコミュニケーションを可能にする道具がパターン・ランゲージなのである。

たとえばパターン・ランゲージのような「言語」がないと、専門家に対して言いたいことが伝わらない。「あそこをもうすこし、いい感じにしたいと思っているんです」、「窓をいい感じにしたい」ではなかなか伝わらない。

しかし、「『生活を見下ろす窓(192番目のパターン)』が上手くいっていない」と専門家に対して伝えることができれば、より了解されやすくなる。「ああ、自分が望んでいることはこれかもしれない」と気づきやすくなるのである。また、「もっとこうすればいいのではないか」といったように違うパターンと組み合わせて自分なりの良さを言語化できるようになるかもしれない。

・特に参考にしたページ

クリストファー・アレグザンダー,『パターン・ランゲージ』,623p

野澤祥子, 井庭崇, 天野美和子, 若林陽子「保育者の実践知を可視化・共有化する方法としての 「パターン・ランゲージ」 の可能性」(2017),430-431p

アレグザンダーのパターン・ランゲージの失敗の原因

『パターン・ランゲージ』が1977年に出版されて以降、建築家たちはこのパターンを利用して建物をデザインしていったそうだ。

しかしその多くが「ファンキー(風変わり)」であり、アレグザンダーの求めていた「古き建物の良さ、美しさ」が見られなかったという。

「本の使い方が良くないからだ」、「資金が少ないからだ」、「法律があるからだ」といった理由が考えられる。たとえばアレグザンダー自身が関わったオレゴン大学のケースでは、その実施においてデザインが骨抜きにされ、都合のいいように解釈されてしまったという。

しかしメキシコのメヒカリにおけるコミュニティのデザインでは、資金もあり、コントロールできる権限もアレグザンダー自身がもっていた。「個性が発揮され、人々のつながりを保てる場所」というコンセプトでつくられたが、やがて住民自身によって壁やフェンスが家の境界に建てられ、そうしたコンセプトは崩れてしまっていた。

建築理論家の長坂一郎さんはパターン・ランゲージによる失敗を「形と価値の問題」として表現している。

  1. 形の問題:パターン・ランゲージはそれが生み出す建物の形、つまり幾何学的特性を十分に伝えていない問題。
  2. 価値の問題:パターン・ランゲージは良い形を生成するパターンと、そうではないパターンを判定する「客観的な価値基準」を十分に伝えていない問題。

たとえば「厚い縁どりの枠」というパターン(225)がある。そこには解答として「ドアや窓の枠は、本体から独立して壁に埋め込まれた別の構造と考えてはならない。その反対に、開口まわりに集中する応力から壁を守るために、壁の組織そのものにつけた厚みと考えること」とある。

しかし具体的にどのような「(幾何学的な)形」かは指定されていない。サンプルのような画像は掲載されているが、重要なのは装飾ではなく構造であり、形は任意に解釈可能になる。

「厚い縁どりの枠」というパターンに基づいて仮にドアが形作られたとする。では、この形が価値あるものかどうか、いかにして判断するのか。

AのドアよりBのドアが価値あるもの、美しいもの、良いものだとなぜいえるのか。その基準が『パターン・ランゲージ』(1977)では示されていないのである。

そしてこの基準が示されるのが『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 建築の美学と世界の本質』(2002)である。

・特に参考にしたページ

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,125-127p

『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー』によるパターン・ランゲージへの修正

アレグザンダーは大前提として、「人間にはユニークな部分もあるが、90%の感情はみな同じである」という。要するに、人間があるものを美しいと感じる場合、他の人の9割は同じように美しいと感じうるというわけだ。

哲学者のイマニュエル・カントが、人間は同じような認識装置をもっていると考え、それゆえに「なにをするべきか、すべきではないか」といった「普遍的な道徳法則」を仮定したこととも繋がるのだろう。社会学者のハーバーマスならば理性を通してその都度、討議すると考えるかもしれない。人それぞれではない、客観的な価値へのアクセスが多様な形で模索されている。

たとえば富士山を美しいと思わない人はいったいどれだけいるのか。あるいは、どういうコンテクストでは例外的に美しいと思いにくいのか。

美しいと感じる基準が完全にランダムで、育った後天的な環境、特殊な文化のみに基づくといえるだろうか。

『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー』では形而上学(神秘)的な説明と形而下(科学)的な説明の両方が行われている。

形而下的な説明としては、たとえば「同型性の原理」が持ち出されている。

POINT同型性の原理ゲシュタルト心理学において、心理現象と脳の生理学的構造との間に一対一の対応があるとされる考え方を意味する。

たとえば白い紙に黒い円が描かれている場合、私たちの脳は円の部分を図(主題)、白色の部分を地(背景)として認識する。アレグザンダーはさまざまな実験を通して、どうやら「人間が認識しやすいような形のパターンがある」ことを発見していく。

そしてこうしたパターンは「生き生きとした構造」、「生命」、「名付けえぬ質」などと呼ばれている。調和のとれた一体感、偉大で豊かな、普遍的、自然主義、深い感情、ソフト、本物、安らいでいる、落ち着く居場所がある、深い存在感をもたらすような秩序、心の琴線に触れる、笑顔・・・といったさまざまな形容が試みられている。こうした性質を伴う構造が強く認識されれば人間は美しいと感じやすい。

生き生きとした構造、幾何学的特徴の例
【1】 スケールの段階性
【2】 力強いセンター
【3】 境界
【4】 相互反復
【5】 正の空間
【6】 良い形
【7】 局所的シンメトリー
【8】 深い相互結合と両義性
【9】 対比
【10】 段階的変容
【11】 荒っぽさ
【12】 共鳴
【13】
【14】 簡潔さと静謐さ
【15】 不可分であること

アレグザンダーは「生き生きとしているかどうか」を判定する目に見える形として、「15の幾何学的特徴」を提示した。

このような幾何学的関係が表れている形を人間は美しく感じやすいわけである。

POINTセンター局所的な全体のことであり、全体性を構成する部分的な領域のこと。重なり合う入れ子状になっている。

たとえば相互反復は「反復するセンターの間に反復する別のセンターが挿入され繰り返されるとき、センターが強化されるという原理」だと定義されている。

※今回は細かい用語、パターンについて説明しない。別の記事で扱う予定である。

たとえばこの絨毯には「相互反復」が見られるが、このビルにはあまり見られない(センターがよく見えない単純な反復)。

・15の幾何学的特徴によって解消された2つのこと

  1. 客観的価値基準が得られた:生き生きとしたパターンと、生き生きとしていないパターンをはっきり区別できるようになった。
  2. 事実と価値を結びつけた:パターンと名付けえぬ質との間に直接的で、フィジカル(物理的)な結びつきを確立した。

あるもの・ことが生き生きとした構造かどうかを判断するテストには「15の幾何学的特徴」の対応だけではなく、「自己を映す鏡テスト」がある。幾何学が「見る・数える・計る」ことだとすれば、テストは「感じる」ことであるといえる。

なぜ自分に似ていると感じると、生き生きとした構造だとわかるのか。心理学的にいえば「同型性の原理」であり、より神秘的にいえば「神を見出すからだ」ということになる。特定の宗教の神ではなく、超越者というニュアンスである。個人的にはスピノザの汎神論のニュアンスが強いと考える。神は世界の外部にいるのではなく、世界のあらゆるものに宿っているのである。もし仮に最小構成要素が存在したとして、そこに生き生きとした構造があるかどうかは重要な争点となる。

アレグザンダーはこのように述べている。

私たちが建物を建てるときや他の人が建てたものを見るとき、選ばれし者”the One”を経験するとき、私たちは宇宙の基盤となっているもの、まったくの統一体、もしくは自己”I”の領域と、より緊密な関係となる。私たちが、この一つであるもの(統一体)とこの関係に入ったとき、私たちと物事はなんらかの形で溶け出し、より透明となり、形が失われ、宇宙がそこから形作られる空(くう)の中に消え失せる。

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,159p(孫引き)

・特に参考にしたページ

クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 』,4p

クリストファー・アレグザンダー『パターン・ランゲージ』,13p

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,79p

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡』,83p

長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡』,146-147p

アレグザンダーの「自己を映す鏡テスト」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

POINT自己を映す鏡テスト自己の真の姿を映すものとしてどちらかを選ぶテストのこと。このテストに基づいて、幾何学的特性のリストが作られている。

「本当に好きなもの、あなたの心に全体的な感情を湧き起こさせてくれるもの」、「普遍的なあなた」、「自分の深い全体性との関わり」、「真実の姿」、「より生命をもっているもの」などとも表現されている。「より美しいものやより良いデザイン」、「個性、嗜好、性格や利便性」に関連する質問ではないことに強く注意する必要がある。解答には一定の熟練が必要とされるという。

あなたと私がコーヒーショップでこのことについて議論していると考えてみてください。私は実験に使えるものがないかどうかとテーブルを見回します。たぶん、このページに示された、テーブルには昔ながらの塩入れとひとつのケチャップの瓶があるでしょう。

私はあなたに尋ねるでしょう『これらのどちらがよりあなた自身に似ていますか?』もちろん、その質問は少し馬鹿げています。『それは意味のある答えになりません』と、あなたは正当に答えるかもしれません。しかし私はその質問を繰り返します。そこで私に調子をあわせて、全体として自分自身を表現するのにより近い方として、ふたつのうちのどちらかを選ぶでしょう。

その前にもう少し言葉を足しましょう。そのふたつのもののうち、どちらの方があなたのすべて、あなたの『全体性』をよりよく映し出しているかを問うていることをはっきりとさせます。その表現しているものは、あなたらしさであり、希望に満ちたり、恐れ、弱味、成功、愚かさも――でき得る限り――自分がそうありたいと願うものすべてが含まれています。

別の言い方をすれば、あなた自身の弱さや人間性や、愛情、憎しみ、若さや老い、あなた自身の善良さや性悪さ、あなたの過去、未来、夢やそうありたい望み、そして今あなた自身であることを含めて、そのすべてにより近いものを考えてほしいのです。もう一度塩入れとケチャップの瓶を比べてみてください。ふたつのうちのどちらの方がそのすべてを通じてよりよく反映しているものを決めて下さい。」(316-317p)

こうしたテストはほかのものでも行うことができる。建物、ドアノブ、自然の景色、絵画、行動、音楽、道徳的な質の選択でさえも対象となるという。

私はつい、「正解」を求めてしまう。先生に教わる学生のような態度になってしまう。固定的な真理があるのではないかと構えてしまう。そうした態度において、「自己を映す鏡テスト」を考えることは難しい。深呼吸を行い、無になり、素直に生命のあるもの、全体的な感情を湧き起こさせてくれるものを選べばいいのではないだろうか。考えずに、感じる必要がある。

クイズのように「ある幾何学的な形があるから生命がある」という態度では感受性がなかなか身につきにくい。より複雑な比較になればなるほど、幾何学的な形だけでは容易に見分けがつかず、調和の違い、全体の生命感の違いのセンスが重要になるからだ。大きく見れば同じような幾何学的な形だが生命の度合いが違うこともある。

1と100なら容易に見分けがつくが、60と40では難しくなる。しかしテストをこなしていくうちに、「なんとなくわかる」段階がくる。いつのまにか自転車に乗ることができ、母国語を話すことができ、ブラインドタッチができるようになる。

・特に参考にしたページ
長坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡』130p

クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー』,316-323p

パターン・ランゲージのその後の歴史

創造実践学者の井庭崇さんは、パターン・ランゲージの歴史を「3つの波」に喩えて表現している。

それぞれの波は断続的な変化ではなく、段階が進む毎に新しい特徴が加わる加算的な発展だからである。

第一の波は「パターン・ランゲージ1.0」と呼ばれている。デザインの対象は主に建築や街作りといった「物理的なもの」である。目的は「良い建物や街をデザインすること」である。アレグザンダーの『パターン・ランゲージ』(1977)が想定されている。

第二の波は「パターン・ランゲージ2.0」と呼ばれている。1980年代以降、ソフトウェア開発者たちは「アレグザンダーの考えはプログラム設計にも使えるのではないか」と考え、良いプログラム設計の経験則をパターンとして整理していったという。デザインの対象は主に「非物理的なもの」となる。

第三の波は「パターン・ランゲージ3.0」と呼ばれている。井庭さんが提唱するパターン・ランゲージであり、デザインの対象は主に「人間活動」とされている。

パターン・ランゲージ3.0の特徴は「設計する人と設計される対象が同じ人」だという点である。たとえば「学ぶパターン」の場合、自分が学び方を改善することになる。自分自身をデザインすることで、実践しながら考え、修正し、また実践するプロセスがより容易になる。

デザインの対象 デザインの特徴 ランゲージの使い方
パターン・ランゲージ1.0 物理的対象 デザインの事前と事後が明確 設計者と利用者をつなぐ
パターン・ランゲージ2.0 非物理的対象 デザインが継続的に改良される 設計者同士の熟達差を埋める
パターン・ランゲージ3.0 人間活動 デザインとその実践が密接に関わり合い、解け合っている 多様な立場同士の人間をつなぐ

表にまとめると上のようになる。

アレグザンダーのパターン・ランゲージでは利用者も設計者と同じ言語を共有し、修繕や変化に継続的に関わっている。また、「自己を映す鏡テスト」は物以外のあらゆるものにも適用できる可能性をもっている。それゆえに2.0や3.0の要素を含みもっていたといえる。

井庭さんによると、「物理的なものは一度つくられてしまうと全面的につくりなおすことは極めて困難である」という。それゆえに、デザインの事前と事後には切断が生じてしまう。たしかに部分的にドアを直したり、窓を変えたり、ソファの位置を変えたりすることはできるかもしれない。しかし建物全体を設計し直すことは現実的に難しい。その点、プログラムはやり直しがききやすい。

なぜパターン・ランゲージ3.0には「多様な人々(行為者)をつなぐ」機能があるのか。

たとえばプログラマー同士が開発すると、コードの書き方がバラバラになる問題が生じる。その解決策として、「コーディング規約を作る」、「テンプレートを用意する」、「自動チェックツールを導入する」といったパターンが集まるかもしれない。多様なパターンではあるが、異なる業種の人が聞いてもよくわからないようなパターンや単語が多い。その意味で、多様な人々をつなぐというより、同じ業種の人々をつなぐツールに近い。アレグザンダーの建物のパターンの場合も専門用語が多い(最低限の知識が必要である)。

一方で、「学びのパターン」のようなケースの場合、多様な業種・立場の人たちからパターンが出てくることになる。より多様な小さなクラス(メンバー)を内包できる大きなクラスだと表現することもできる。

教師なら「人に教える前提で学ぶ」アイデア、職人なら「繰り返し体で覚えさせる」アイデア、記者なら「要約して覚える」アイデア、ランナーなら「走りながら考える」アイデアが出てくるかもしれない。意見を出し合い、対話していく中で新たなアイデアがその場で湧いて出てくるかもしれない。人々がとくに意識せずに実践しているコツ・技法を「言語化」させる機会をパターン・ランゲージは提供し、促進させるのである。

人々が無意識に使っているコツや技法を言語化したものを収集して終わりというわけではない。集まったデータをもとに、より抽象的なパターンへと変換し、さらに他の分野に応用できる「学びのパターン」をつくることができる。

部分の単なる寄せ集めではない、より付加価値のあるものが生じているのである(創発する)。パターン・ランゲージが完成した後も、実践することで「もっといいパターンがあるのではないか」と修正や変化を繰り返すプロセスが続いていく。

井庭さんは「パターン・ランゲージは単なる知識集ではなく、世界の見方を変える道具である」という。つまり、パターン・ランゲージは「認識のメガネ」なのである。

同じ対象を見ていたとしても、サングラスと普通の眼鏡、色眼鏡では見える景色が違う。

たとえば普通に見ているだけではなぜチームが上手くいっているのか、いっていないのかわからない。しかしパターンを共有し、言語化できることによって、「あのパターンができていない」といったように解釈できるようになる。

また、こうした「認識のメガネ」は消えゆくメディアであり、慣れると眼鏡をかけていることすら忘れるように自然に、無意識的に使用できるようになるという。

たしかに、メガネをかけていることを普段は自覚しない。新しいメガネをかけた最初の数日は違和感があるが、徐々に慣れていく。新しい靴も徐々に違和感がなくなり、履いていることを意識しなくなっていく。

人類学者のグレゴリー・ベイトソンは「レントゲン技師がたんなるシミから病気を認識できるような学習パターンの獲得(学習2)」を説明していた。

ほとんど無意識なレベル、反射的なレベルで獲得している学習パターン(学習1)もある。たとえば梅干しの画像を見たら唾液が出る学習はその例だろう。なんの学習もしていない場合は唾液が出ない。特定の梅干しではなく、梅干しというカテゴリー自体、あるいは「酸っぱいもの」というカテゴリーを抽象的に学習しているという点がポイントである。

たとえば病気のシミは毎回同じではないが、なんとなくパターン、クラスが類似しているのであり、メンバーが違うだけである。果物というカテゴリーにおいてリンゴもミカンも同じであり、糖分というカテゴリーにおいて果物も米も同じでありうる。

井庭さんの言葉でいえば、パターン・ランゲージとは「一つの答えを教えるものではなく、状況に応じて選べる知恵の道具箱」である。ベイトソンの学習理論でいえば「学習2」を習得する作業だといえる。たとえばチームワークのパターンの中で、具体的にどう動くかは状況次第であり、多様にありうる。「正解そのもの」を与えるものではないが、「正解に導きうるもの、形を変えて適合しうる粘土のようなもの」を与えてくれる。

アレグザンダーは「自己を映す鏡テスト」を1985年にニューヨーク州で開催された、100人が出席する会議で行った。青いベンチとグレーのスツールを並べ、「どちらがより自分自身を映し出しているものか」聞いたのである。

その結果、100人中99人が青いベンチを選んだという。グレーのスツールを選んだ1人は「自分の主張は正当である」と論じ始めたらしい。たとえば「価値観はひとそれぞれだ」と主張することができる。「個人的には〇〇がいいからだ」と根拠づけることも可能だろう。

しかしその2週間後、グレーのスツールを選んだ人物から手紙が届き、「ベンチの持つより全体的な実体や、私自身を表現する可能性を秘めたベンチの質の区別がわかるようになった」と書いてあったそうだ。

パターン・ランゲージと自己を映す鏡テストを組み合わせることで、単なる知識やコツだけではなく、認識の変化が生じる例だろう。認識の枠組みは先天的な能力の範囲において一世代においても変容しうるのである。

一方で、「後天的な学習や討議による多数決によって美が決まる」のではなく、「先天的な能力や有機物、無機物の構造によって美しい構造はある程度決められている」というニュアンスがアレグザンダーにはある。後天的な学習は美しいものを感じやすくするか感じやすくしないかといった解像度、あるいは関心度に影響するのかもしれない。

この美しい構造(大きなクラス)の範囲内で個性や多様性といった小さなクラスが存在するのである。この意味で基礎づけ的であり、ある種のロゴス中心主義を感じる。社会学者のデュルケムが「社会の中ではじめて個人の自由や多様な価値観がありうる」と考えていた話とも通底する。

ハーバーマスは「討議倫理」の普遍性を主張した。そしてアレグザンダーは「生き生きとした構造」の普遍性を主張した。どちらも「単なる価値」といった個人的、恣意的、相対主義的な軽いものではない。

「そうあるべき」だという信仰的なニュアンスを帯びてくる。「もしそうでないと仮定したら・・・」、「もしそうであると仮定したら」といったように論証していくのである。この意味でベイトソンがいっていたように(良い意味で)トートロジック(同義反復的)な説明体系なのかもしれない。このトートロジーにどれだけ世界を健全にする能力があるかによって重大な差異が生じてくる。

・特に参考にしたページ

井庭崇, 古川園智樹「創造社会を支えるメディアとしてのパターン・ランゲージ」(2013),869p

井庭崇, 古川園智樹「創造社会を支えるメディアとしてのパターン・ランゲージ」(2013),871p

クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー』,316-323p

参考文献リスト

今回の主な文献

クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 建築の美学と世界の本質 生命の現象』

クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 建築の美学と世界の本質 生命の現象』

クリストファー・アレグザンダー『パタン・ランゲージ―環境設計の手引』

クリストファー・アレグザンダー『パタン・ランゲージ―環境設計の手引』

坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡:デザイン行為の意味を問う』

坂一郎『クリストファー・アレグザンダーの軌跡:デザイン行為の意味を問う』

スティーブン・グラボー『クリストファ-・アレグザンダ-: 建築の新しいパラダイムを求めて』

スティーブン・グラボー『クリストファ-・アレグザンダ-: 建築の新しいパラダイムを求めて』

井庭崇, 他『パターン・ランゲージ:創造的な未来をつくるための言語 (リアリティ・プラス) 』

井庭崇, 他『パターン・ランゲージ:創造的な未来をつくるための言語 (リアリティ・プラス) 』

井庭崇,他『社会システム理論 (リアリティ・プラス) 』

井庭崇,他『社会システム理論 (リアリティ・プラス) 』

汎用文献

米盛裕二「アブダクション―仮説と発見の論理」

米盛裕二「アブダクション―仮説と発見の論理」

トーマス・クーン「科学革命の構造」

トーマス・クーン「科学革命の構造」

真木悠介「時間の比較社会学」

真木悠介「時間の比較社会学」

モリス・バーマン「デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化」

モリス・バーマン「デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化」

グレゴリー・ベイトソン「精神と自然: 生きた世界の認識論」

グレゴリー・ベイトソン「精神と自然: 生きた世界の認識論」

グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学へ (上) (岩波文庫 青N604-2)」

グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学へ (上) (岩波文庫 青N604-2)」

マックス・ウェーバー「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」

マックス・ウェーバー「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」

参考論文

・井庭崇「創造的な対話のメディアとしてのパターン・ランゲージ: ラーニング・パターンを事例として」(2014)[URL]

・井庭崇, 古川園智樹「創造社会を支えるメディアとしてのパターン・ランゲージ」(2013)[URL]

・野澤祥子, 井庭崇, 天野美和子, 若林陽子「保育者の実践知を可視化・共有化する方法としての 「パターン・ランゲージ」 の可能性」(2017)[URL]

・井庭崇「認知症とともによりよく生きるためのパターン・ランゲージ 『旅のことば』 の活用事例」(2019)[URL]

・自生的秩序の形成のための《メディア》デザイン──パターン・ランゲージは何をどのように支援するのか?(ウェブサイト)[URL]

コメント

タイトルとURLをコピーしました