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絵は完璧で厳密で正確でなければいけないのか?愛の数量化について
- 2021/10/28
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愛の数量化とは
近代以前は「子供」は存在しなかった
フランスの歴史家であるフィリップ・アリエス(1914~1984)の『子供の誕生』によれば、中世ヨーロッパでは「子供期」という概念は存在しなかったという。
いやいや子供はいつの時代にもいただろう、と思うかもしれない。しかし存在していたのは「小さな大人」であり、「子供」ではなかったという。昔は小さな大人は保護や教育の対象としてあまり考えられていなかった。
現在の子供といえば、教育を受けたり、保護されたりする存在である。子供用の服と大人用の服といったようにカテゴリーも分かれている。
中世以前の赤ん坊の死亡率は高く、赤ん坊の場合はそもそも家族の数に入らなかったという。近代以前では子供は七歳になると徒弟修業や奉公に出されることが多かった。
「子供」という概念が生まれたのは17世紀頃で、上流階級を中心に子供を道徳的で理性的な人間として教育する必要が意識されるようになってからだ。こうして家庭が教育的な場となり、さらに近代的な学校制度が整備されるようになり、保護して育てるという「子供」の概念が浸透するようになった。
こうした保護や教育という概念が、子供を管理する、理性的に育てるという傾向を生んだ。もちろんいい点もあるが、そうした傾向は子供を”過剰”な完璧主義や合理主義へと追いやることもあるのではないか、という点が重要になる。ひとことでいうと、「愛が数量化されていく」という感覚がある。
十六世紀までは、核家族という概念はむろん、子供という概念がそもそも存在しなかったことをアリエスは実証している。たとえば十二世紀までは絵画が子供として明確に描き分けることはなかったし、十六世紀まで子供の肖像画というのものはほとんど存在しなかった。十七世紀は子供を文字通り「発見」したのであり、十七世紀になってはじめてじんせいのいくつかの段階の一ステップとして子供時代を区切るようになったのである。だがそれは、より丁寧に幼児を世話するようになったということではない。むしろ、区切ることが、子供と大人の間に隔たりをもたらしたのである。
(「デカルトからベイトソンへ」、モリスバーマン、柴田元幸訳、国文社 183P-184P)
多様性(さまざまな色のメドレー)と完璧主義
絵を描く際に「完璧であろうとする心性(完璧主義)」はどこからきたのだろうか。こうした意識はアリエスのいうところの「さまざまな色のメドレー」ではなく、「すべてが清潔できちんとして均一でないと気が済まない男性的文明」に近い。
絵を描く際の一つの不安である「自分の絵が完全ではないから恥ずかしい」は一体どこからやってくるのだろうか。価値の基準が単一的になり、多様性を失う理由がどこにあるかを探す必要がある。
単純に考えれば、ひとつには「他者からの評価を気にしてしまう」ということが挙げられる。上手い絵(完璧に近いもの)ほど評価されやすく、下手な絵ほど評価されにくい。それは「いいね数・リツイート数・ランキング」等で数量化され、可視化される。上手い絵ほど企業案件が増え、お金になり、数量化され、評価が金額として可視化される。
このように「数量」としての評価が重要視されるようになると、価値の基準が単一的になっていく。数値で見られるものが最優先で価値があるものとして扱われていく。さらには自分の絵を自分の価値そのものとして考えるようになり、評価がされないと「自分自身の価値が低い」と考えるようになってしまう。
認知的不協和がここで生じる場合がある。自分の価値は本来もっと高いものである、高くありたいと考える自分と、実際に絵が評価されていないという現状に「矛盾」を感じる。そうすると、自分の価値を判断されること自体を恐れるようになる。つまり絵を他人に見せること自体を恐れるようになってしまう。自分の価値が確実に評価されるようになるまで、つねに完璧に近いものになるまで絵を発表するのは避けるようになる。
中世においては時には三十人ほどもいることもあった家庭は次第に縮小し、どの家族も均一の構成になってきた。それまでは家中にばらばらに置いてあったベッドが、専用の寝室に置かれるようになった。だが我々なら「混沌」と呼びそうな昔の状況は、実は現実の多様性にほかならなかったのだ。アリエスの言う「さまざまな色のメドレー」である。いまでもそれは、たとえばデリーやベナレスの街角で見ることができる。そこでは、八種類の交通機関と四十の異なったタイプの人間が、ひとつの狭い街並みのなかで、ひしめき合っている。あるいは地中海の町の、夕暮れの街路に群がる人並みを考えてもよいだろう。すべてが清潔できちんとして均一でないと気が済まない「男性的」文明が急激のその力を増したのは、科学革命直前のことである。
(「デカルトからベイトソンへ」、モリスバーマン、柴田元幸訳、国文社 184P-185P)
子供時代が絵師の精神に影響を与えるケース
WIKIによれば「完璧主義」の原因の一つは家庭環境にあるという。「条件的な愛(愛ではなく、自分のエゴの押し付け)」しか示さないような両親などの保護者に育てられた場合に、完璧主義的な傾向が出やすいらしい。
「特定のなにか」だけできた場合に褒めて愛情を示し、他の場合には褒めないといったような態度だ。こうした環境で育てられた子供は、「自分が何かが上手く実行できるかどうか、異常に過敏になっていく」そうだ。条件的な愛ではなく、どんなときでも基本的に愛情をもって接するような環境の場合には完璧主義が発生しにくいということになる。
SNSの弊害と無償の愛、人間関係の希薄性について
こうした「条件的な愛」はピクシブ、ツイッター等のSNSでも当てはまるのだと思う。「特定のなにか」だけできた場合に褒められるという環境があるのではないだろうか。たとえば母親が、上手くない絵は全く褒めず、上手く描けた場合だけ褒めるような家庭だったとする。こうした家庭の場合に、自分は完璧ではないとだめなんだ、そうじゃないと愛されないんだと思うようになる。こうした構造がSNSでもあったとしたらどうだろうか。自分は完璧ではなければ愛されないんだ、他者に評価されないんだと絵をあげるたびに、あるいは絵をあげる前に思うようになる。
「どんな絵であったとしても愛情を示してくれるような人」のような存在がSNSにもいれば、完璧主義に陥りにくいのかもしれない。たとえば”1件”のいいねであっても、この人は私の人格を肯定してくれている、絵を評価するというより、人格を含めた全体的で、多様性のある観点から自分を見てくれているという人なら、その人は「自分は完璧ではならないといけない」と思い詰めることはないと思う。
つまり、数という単一的な尺度でしか自分の価値は判断されないんだ、と思うような心性はそもそも人間関係が希薄な、抽象的な人間関係の世界で起こりやすいということなのだと思う。具体的で多様的な人間関係の中で過ごしていれば、条件的な愛や評価を求められることはあまりない。しかし抽象的で、自分に利益があるかどうかだけで判断されるような関係で過ごしていれば、人間は完璧主義に陥りやすい。
科学革命とニュートンについて学ぶ 完璧主義はどこからきたのか
ニュートンとはもちろんあのアイザック・ニュートン(1624-1727年)である。子供の概念が生まれた17世紀にニュートンは生まれた。科学革命の中心となったのもニュートンであり、科学革命が起きたのも17世紀である。科学革命は近代科学の確立であり、観察・実験による知識の体系化や演繹・帰納法などの体系化が進んだ時代である。
科学革命をさらにさかのぼれば、フランシス・ベーコン(1561-1626年)にたどりつく。ベーコンは「実験」を重視し、ルネ・デカルト(1596-1650)は「数字」を重視した。ベーコンは知と力を結びつけ、真理を有用性と結びつけた。デカルトは物事の数量化による把握を確信と結びつけた。ニュートンは彼らの内容を受け継いだ。
こうして数量化が真理や有用性とつながっていった。数量が価値の中心となるのは、近代以降において特有の社会的現象だということだ。そうしたものは絶対的な価値基準ではない。アフリカで生まれればそのような異質な完璧主義の人間など存在しないだろう。
数量化できるということは産業では重視された。利益とつながるからだ。資本主義社会では必然的に利益とつながる行為が重視される。したがって、数量化できるような価値が大事だ、という考えが社会全体に表れるのものこうしたものが背景にある。
家族が悪い、個人が悪いといったような単一的な理由ではなく、そもそも社会全体がそうした価値基準を生み出しがちだという話だ。学校の成績が低いといい大学にいけない、そうするといい会社に勤めることができない、そうすると利益を出すことができない。
親は数量化されたものを重視し、良いものでないと評価しなくなる。頑張ったことを評価せずに、ただたんに、成績がよかったときだけ条件的な愛を示す。絵?ゲーム?部活?それは利益になるのか?それで成績が伸びるのか?くだらないことをやっていないで勉強しなさい、と無反応を示すようになる。
ニュートンも親の愛を受けなかったという。ニュートンの父親は彼が生まれる三ヶ月前に死に、母親は彼が三歳のときに違う男と再婚し、ニュートンを祖母のもとに置き去りにして出ていったらしい。ニュートンが残したノートの言葉は、絵で思いつめた人の内心とどこか似ているところがある。
・・・ニュートンはピューリタン的道徳観を持つ人間に共通の性質を持ち合わせていた。すなわち、禁欲、戒律を求め、なかんずく罪と恥を強く意識する正確である。マニュエルは言う──「ニュートンのなかには監察官が埋め込まれていたのであり、彼はつねにその厳格な監視のもとに生きていた。」その証拠として、思春期の学習帳を挙げることができる。ラテン語への翻訳の練習のために自由連想で選ばれた文が記されているノートだ。それらの多くは、恐怖、自虐、孤独などをその主題としている。たとえば──
ちっぽけな奴。
顔は青白い。
僕が座る場所はない。
どんな仕事ができるというのか?
なんの役に立つか?
失意の男。
船は沈む。
僕を悩ませるものがある。
彼は罰せられるべきだったのだ。
誰も僕を理解してくれない。
僕はどうなるのか。
終わらせてしまおう。
泣かずにはいられない。
何をしたらよいかわからない。
(「デカルトからベイトソンへ」、モリスバーマン、柴田元幸訳、国文社 128P-129P)
絵には愛へとつなげる力がある:生き生きとした目的とは
絵はプラスの側面もある。絵を描いていると、「人とのつながり」ができる。こうしたつながりが数量的な関係ではなく、質的な関係であれば、絵を描く人の心も完璧主義的ではなくなる。
絵を描く理由も抽象的なものではなく、具体的なものになっていく。ただ単に「なんとなく上手いもの、なんとなく評価されやすいもの」ではなく、見てくれる具体的な他者を笑顔にさせるような、そういう具体的な生き生きとした目的になっていくのだと思う。そうなっていってほしいと思う。
絵は人と人とをつなげる手段でもあり、絵を描くこと自体も楽しい目的でもある。「生き生きとした目的」は絵の技術的な力も自然と上げていくのだと思う。笑顔にさせたいから、いろいろな技法を学ぼうとする。もちろんそうした技術の追求は、宙に浮いたような際限のない、無限の闇がぽっかりと空いたものではなく、他者の笑顔に向かっているのでピリピリとしていない。こんな技術を取り入れてみたんだけど、楽しいね、これもいいねという多様性に満ちている。
絵は人と人をつなげる手段としても価値があり、その手段の幅を広げる技法も同時に価値がある。そうした技法をどんどんと広げていくことは、人と人をつなげることになっていくのだと思う。私はそういうものをつくっていきたい。
今回おすすめする書籍
デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化
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